【5番街には、日本スーパー・レストラン・回転ずし・・中国・韓国の経営者】 5番街の20-30台を歩いてみると、「日本」らしき店舗や日本スーパーがかなり多く見受けられる。しかしこれらはもう「日本人」の経営ではないのである。中国や韓国の方々が経営されている。 NYの5番街で、日本人でない方々が日本の「店舗」や「スーパー」を経営されているのには驚きを超えるものがある。日本人はこういう開かれた「多様性」には、抵抗があり、適応できないのである。全てに「こだわり」があり、「本物」主義なのである???、ある意味【チャンス】を逃している。 中国や韓国の方々は「適応力」が凄い。ここに「市場」があると思えば、完全でなくてもみようみまねで「始める!」これが素晴らしい。郊外で展開しているアジア系スーパー「H Mart] は韓国資本で、お店には、韓国・日本・中国のものが揃えてある。特に郊外のWestchesterでは多くのアメリカ人が買いに行く。 韓国、中国の方々はMarketingが上手い。韓国の車、ヒュンダイも安定性よりも見栄えや派手さ、安い値段で成功し、販売台数で、世界で5位に位置している。車に関してはToyotaやHondaの「安定性」は抜群であるが・・・・。近い将来、この分野でも日本を超えて行く可能性は十分あるだろう。 中国、韓国からの「移民」はもうすご過ぎる。5番街を歩いていると中国語、韓国語や南米かからの言葉しか聞こえてこない。英語すらMinorityになったのかな?という具合である。 5番街に中国、韓国からの人々が「Japan」を売りにしてビジネスをしている。こんな無限大のチャンスがあるNYに、日本人以外の方々が「Japan」というブランドを相手にして、ビジネスをやり、ほぼ成功しているのである。 1970-90年代が懐かしい。日本のマスコミ、ジェトロが後押ししてNYに多くの企業がやってきた。ほぼ30年で多くの日本企業が撤退や縮小してきた。アメリカという【市場】こそが日本にとってドル箱であるのに、それを理解していないのではないだろうか。 アメリカは日本には好意的であったし、今も多くのアメリカ人は日本が好きである。政府が中国よりなのは残念で仕方がない。中国に幾ら近寄っても適当にあしらわれるに過ぎない。アメリカこそ日本の最恵国待遇であるべきなのに・・・・。課金の問題、ビザの問題も外務省や政府機関がもっと真剣にやれば、幾らでも有利に出来るのにと残念でたまらない。 トランプ政権が日本に好意を持っているのに、それを活かせない日本政府がやりきれない。若い日本の若者よ!もっともっと無限大の可能性のあるNYにチャレンジして欲しい!我々が50-60年前にチャレンジした時と同じ「情熱」をもった勇気あるYoung Man Japaneseの出現を強く待ち望みたい。 NYには「金山」が埋もれている!!勇気と情熱、チャレンジ精神で堀り続ければ、アイデア次第で、Billionの財宝を稼ぐ事は可能なのである。!!!【チャレンジ!】せよと声を大にして、言いたい!。

【人生後半の生き方・・・】 昨日は非常に満足感があり、充実していた。早朝の哲学書、テニス、30分のグランドの歩き、食事、20分の仮眠、そうして、日本、アメリカスーパーへの買い出し、奥さんとインドレストラン、休憩、午後2時半からー6時半まで、Barns & Nobel(アメリカのCafe付き大手の本屋さん)で読書と、英語での書き物、帰宅してかーるくサラダ系の食事と明日の具の多い味噌汁作りと明朝の食事とランチの準備、シャツとズボンのアイロン、鞄の中の整理をして、夜というか夕8時半就寝。 週末は大変に楽しい。土曜、日曜日は郊外に住んでいる知己との会合と若い人の相談事・・・等、結構それなりに多忙なり。 自分の一日のシステムを作ると楽しいし、その結果が伴ってくると、「充実感」がある。その時には「生きている!」という「満足感」が出て来て、就寝は穏やかに、かなりぐっすり眠れるのが良い。約6時間して今朝は2時半頃に起きた。トイレは珍しく1回で済んだので、眠りはかなり深い。運動と適度の歩き&奥さんとの食事や買い物、そして何よりの読書3時間半は知的満足感あり。 こういうのを過ごせる晩年は最高と思う。正に趣味の世界に生きている様なもので、「習慣」というシステム造りが上手く行った感じがする。長年、システム作りに苦労して来ただけに、特に週末の充実感や満足感は、ビジネスで金銭を得るより、「生きていた良かった」と思う。 ビジネスでの日々の闘い/週末のバランスが取れて「満足感」「充実感」がある時は人生の「醍醐味」を覚える。この領域になると正に「人生はArtなり!」を実感する。こんな日ばかりではないが、記憶の中にこの「充実感」があると週5日も週末に向けて頑張れる。 この生き方は上智大学の渡辺昇一教授が東大の林学の創始者と言われる「本多静六」教授の生き方を述べられていて、約30年?前に読んだ書物からの学びである。最初読んだ時はかなり感銘を受けた覚えがある。それから数回読み、最近又Youtubeで見かけたりして、懐かしく思い出した。日本の方が書かれた啓蒙書の中では特筆している。是非お読みになる事をお薦めする。我々は若い時は英独米の翻訳書で学び、アメリカにきては原書で読む機会が多かったので、知的な育成においては、満足感が大きい。 日本での教育、特に「徳」と言う事、人に優しく、困っている人を助ける・・・・正しく生きるや日本史、世界史、地理、倫理等、多岐に渡って教えられた「教育システム」、特に放課後の皆でやる「掃除」が一番良かった様に思う。 そうしてアメリカでの、合理的、機能的、金銭、知性の磨き等を習得してきた。これもそれなりに、良かった。残念だったのは幼少期にピアノやバイオリン、絵画等の基礎をしっかりとやらなかったのが悔やまれる。大きくなってのピアノなどはなかなか上手く行かない。 自分が出来なかった分、子供達には自然体でピアノをやらせたらかなりの効果があった様で、勉強疲れの合間のピアノは気分チェンジに凄く効果があったと言っていた。もっとも運よく、若くして大きな家を買う事が出来たと言う事もあるが・・・・。(人生は努力と運であろうか。) 全ては「環境」であり、誰と何処で会い、人生の影響をどういう形で受けるかであろう。そうして良き「システム」を自分なりに学び、それの実践を早く見い出したものが、【人生の勝利、成功】へと導かれるのではないだろうか。そういう意味では【「書物」と「人物」】の出会いが人生を決めて行くと言っても過言ではないだろう。 人生を振り返ってみると中学生/高校生の時に如何に「人生のVision」を描けるかであろう。そうしてひたすら自分が立てた「Vision」や計画に沿って、出来る限りの【努力】をして行くに尽きる。これは後年になって、「本多静六」先生から学んだ。渡辺先生を介しての書であったが、私に大きな影響を与えたかけがえのない師である。正に読書を通して人生の方向性を決めて下さったお二人に「感謝」したい。本当に「有難うございました」と・・・。 *「読書」と「人間」の邂逅こそが「人物」を造って行くのではないかと思う。
【成功・勝利の要諦は「継続」なり!】 人生そのものは至ってSimple & Easyでありそうな気がする。何事でも「明確な目的」というGoalを持てば、人間はそのゴールに向かう「習性」を持っている。それだからこそ、「規律」「習慣」を持てと言われるのであろう。そしてその目的に向かって「努力」「情熱」を何処迄持ち続けられるかが、成功・勝利に欠かせないと思われる。 この世には天才はいない。天才と言われる人がいれば、人が休んでいる時も、遊んでいる時も、ひたすらに自分が向かっている「目的」に絶えず【努力】している人であろう。 【努力】が苦しみや辛さを超えて、「愉しみ」に変えられた時にこそ、一つの事を成し遂げられるのであろう。努力が成功・勝利に「結果」として結びつく迄には大よそ「10年」の歳月はかかる。それは毎日「食事」するのに似ている。毎日の食事、日々の【努力】こそが目的の達成に辿り着く。 「積小為大」と言われるもの、今日一日を絶えまず、「継続」する事である。毎日15分でも書物を読む。体操する。歩く・・・・。何でもいい、自分がやりたいと思う事を止めないで、続けられるものに「挑戦」してみる事である。それを1か月、3か月、6か月、1年、3年と続ければ、必ず成就出来る。日本の格言に、「桃栗3年、柿8年」と言われる言葉がある。 一人前に育つ迄を表す言葉であろうが。決して焦ったり、急いだりしてはならない。兎に角【継続】してみる事である。とても面白い。是非皆さんに、お薦めしたい。何でも良い。「今」から直ぐに出来る事を15分だけ「毎日」やり続ける事である。必ず、自分が進歩している事に気づくだろう。 朝起きたら、自分のルーチンを作って置くと良い。早く寝て、早めに「起きる」である。起きてから90分が決め手である。頭が冴えて、効率が良い。私は約20年位前にこれに気が付いて、最初朝5時に起きる事にしたが、年々時間が上がってきて、4時起き、3時起き・・・・となってきた。今は起きてブログの書きダメするのが、日々の生活習慣の一つとなっている。 皆さんからこれを「本」にしたら・・・?と良く言われるが、そんな気持ちは全くない。頭脳をクリアするには「書く」事である。最初は苦痛であり呻吟していたが、無理やり「継続」する事により、自虐的かもしれないが、ある時点から「楽しく」なって、もう止められない位になってしまっていて、読書と同時に、「書く」という「愉しみ」を味わうと、もう止められない。 美味しい「寿司」や「蟹料理」を食べていると同じ感覚なのでる。頭の片隅に、「潜在」として、何を書くか?という意識があるのだろうが、ある時点から無意識に題材が浮かびあがるようになってきた。初期の頃は題材を探すのに苦労したが、今は同じ題材からでも色んな「切り口」を見出して、ノートを出せば、直ぐに書き始める事が出来るのは自分でも驚く。 「目的・潜在意識・努力・毎日の継続」という「習慣」が出来た時、全てが成就して行く。一つ自信を持てば、Nextに行ける。Cooking、床掃除、便所掃除、洗濯、アイロン・・・・幾つも同様にこなして行く。そうして「整理整頓」が愉しくなっていく。これこそが「成功・勝利」の要諦であろう。 そういう意味では人生は至って簡単な「法則」に気付き、「実行」という【Action】を起こしさえすれば、だれでも成功するであろう。読書したり、人からの話に感銘受けたりするのは良いが、最終的に、自分自身が「今」始めれるかどうかである。今日の今が明日に繋がり、人生に繋がる。これらを幼少期に祖父母や父母から或いは自分で見つけたかで、「人生」は変わって来る。 もうそろそろ天国行くようになって、「宇宙の法則・人生の法則」に気が付いた。これを読んでいる人に是非実践して欲しいと思うのである。早ければ早い程良い。これは【魔法の法則】である。 これに気付き、「躬行・実践」した人にのみに栄光栄華の勲章が与えられる。これらは誰のものではなく、「自分自身」への充足感、満足感に繋がる。そして「自信」が得られると100万ドルを稼いだと同じ位に最高の自分がある。 人生の成功・勝利は明確な目的と共に、【継続】してやまない【努力】であると確信する。成功・勝利するまで諦めない事であろう。この「法則」を実践したものにのみ、心の充足感が与えられるだろう。
【品性ー思いやり、謙虚、配慮、感謝】 晩年になり感じる事がある。「品性」とは・・・?という事である。多分これは【余裕】と言う事ではないかという感じがする。「品性」は心の持ち方次第と言われるが、日頃から心がけていてもここ一番という時に、「地」が出る。 育ちの良い人は幼少の時からの「躾」がしっかりしているせいか、日常の中で、それを感じる時がある。「品性=躾」と言えばそれまでで、やはり、生きている時には少しでも人間として「向上」したいという「意欲」次第で、品性も磨かれて行くような気がする。 相手に対する「思いやり」は病気や怪我や、何かで瀕死の状態であったり、底に落ち込んだりした時に、神様からや友人、知人、他人に助けられた時の想いを強烈に感じた時に、人間はそれを感じるのかもしれない。 人間は強い時ばかりではない。弱い時もあるのは当たり前であり、その時に差し伸べてもらった恩や、感謝は忘れがたい。他にたいする、配慮や心遣い、思いやりは、【人間性】の問題になって行く。 ビジネスで儲けていたり、スポーツ選手が強かったりしても当たり前である。しかしそれ以上に、他に対する「思いやり」、「配慮」ができる人間にははっとさせられる。これらは【余裕】のなせるわざであろうか。 思うに、「品性とは余裕」ではなかろうかという気がする。体力+、心力+、知力+金力+・・・・自分自身がある程度確立していてこそ、この人に対する配慮が出来ると思われるのではないだろうか。 アメリカに来た時に当時の日本になかった「お先にどうぞ・・・」、英語で言う「After you」はかっては本当に心もお金も【余裕】があってこそ出てきたものであろうと感じた。エレベーターの中で、最近は儀礼的にはなっているものの、「Please」と手を差し出されると気持ちが良い。長く米国に住んでいて、これが出来る自分自身がいる時は嬉しいし、心に自分が「余裕」が出来て自然にそれが出来た時ははささいな満足感がある。(小さな歓びであるが) 恐らく栄華栄誉を極めた英国から出てきたものであろうが、日本的な「思いやり」や「配慮」とは違うが、これも一種の「品性」の表れだろうと思う。 最近、アメリカの野球選手のドジャースの方々が「日本」を訪問して、Cleanで、人に優しく、親切・・・と語っているのをみて、日本の「おもてなし」も日本の「品性」ではないかと思った。 知的で、経済的に「余裕」が持てた時は、人間は自然にもてなしや、おもいやり、「After you・・・」が出て来るのではないだろうか。勿論これに気付き、日頃から考えて出来るだけ「実践」しようと心がけて初めて、出来るものであろうが、日々努力しなくても、自然にそういう行為が出来る様に「品性」を高めて行きたいものであると思う自分がいる。
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