【中国・韓国の方々は、勇気を持って、NYで「日本スーパー・レストラン」経営にチャレンジー大成功】 最近の中国や韓国の移民の方々の活力には驚かされる。5番街の34,5丁目に堂々と「日本スーパー」「日本レストラン」を出店する。日本人が果たして中国スーパーや中国レストランをやろうとするか・・??? 中国の方はチャンスと思えば、じゃんじゃんチャンスを掴みこんでくる。日本ブームは幾分落ち好き、下火になっているが、もうNYでは「市民権」を得ている。食べて「美味しい」「安心」というものが確立している。 私ははがゆくてたまらない。日本スーパーや日本レストランがなぜ中国や韓国の人の経営に任せているのかと・・・。いつも書いているようにNYには【金山】が捨ててあるのである。やるという!最初の1歩を踏み出せない「日本人」。何度も書くが、「Omakase!」という言葉で中国の方がマジソン街の真ん中で、日本レストランをやって流行っているのである。 今日驚いたのが、既に34,35丁、5番街に「京都から・・・」という見出しで、堂々と出しているスーパーの2店目と3店目を通った。レジのお姉さんに聞くとオーナーは日本に留学?した「中国人」という。店も従来の小汚い中国経営ではなく、明るく清潔感に溢れて、アメリカ人が入りやすい店内になっている。見た瞬間「やられたなー!」と思ったら口惜しさとあっぱれ!の双方の言葉が次第に出てきた。日本人には到底できない・・・・・。本当に悔しい!!!。 日本人が数十年に渡って、NYの市場を開拓してきたのに・・・寿司、ラーメンの信頼を得るまで30年、40年という歳月をかけてきたものが、他国の人に「日本ブランド」を利用されるのは・・・・50年前にヤング・ジャップと呼ばれながらNY開発にエネルギーを賭けた事を思うと残念極まりない。 なぜ日本から若い男女がNYにチャレンジしないのかわからない???こんなに無限大の金山が埋まっているマンハッタン・NYなのに・・・・。余りもも悔しくてペンが折れてしまった・・・・・。悔しいの一言です。 このブログを読んだ方は誰でも若い日本人男女に伝えて下さい。(Sakai不動産)917-679-7515/sakai@sakaifudosan.com
【人生】・【国家・企業・個人は「信頼」である。】 米国から世界を俯瞰していると、様々な民族や国家の在り方が良く見える。今まで西洋の「モラル」があり、それを模範として、世界中が追随してきた。 正しさや重厚感、気品はまだまだ必要である。最近は「人間」の存在や「文化」おいても「ソフト」化して来た。特に人間の精神性は今後益々重要性を持ち、特に品格ある「人間性」が重視されるだろう。 物を造る時、又それを使用する時、「安全性」「保持力」等、本物が問われる事になる。日本では当たり前であった事が、今の世界ではこれらがかなり軽視されているのには驚かされたりする。 中国や韓国やその他のG7以外で作られたものは、安い、壊れる…偽物・・・と言われるものが多い。なぜかわからない?最低10年、20年持つものが、3-4年で壊れたりする。こんないい加減なものを作って、消費者に「信頼」されると思うのか?よくわからない??? ファッション等は数年で変わる?ので目先にものを簡単?に作ればいいという発想であろうか。やはり「正しく」きちんとした「製品」を作ろうと言う「意志」がないといけないのではないだろうか。 最近日本のフードを真似た偽物食品が出回って、スーパーで除去されたという話を聞くと、信じられないと思う。そんな毒入りに近いものが米国で売られているの?と思う。即席のカップラーメンも日本スーパーで99セント、アメリカのスーパーでも1ドル50セントで売られているが、味が薄くヌードルがとぎれとぎれのものが49セントで売られていて、大丈夫かな?と思っていたが、まだ売られていたりすると食べた人の健康が気になる。韓国の大手の辛口カップヌードルを売り出して「癌」になると政府から言われてスーパーの棚から除去された事もある。 最近男性はブレザーを着る場所がなくなってきたが、ある会合に最近は寒いので昔のものを取り出して着て行ったら、良い生地のものだねと直ぐに言われた。コロナ前はこんなスーツ姿も当たり前であったが・・・・。 製品でも人間でも重厚なものは疎んじられて来ている気がするが・・・・。やはり人間は「重厚感」があるのは接していても見ていても気持ちがいい。整然としているのである。 軽さ、安さではなく「正しさ」が当たり前である事を願う。製品をみて、これはいいなあーと思うもの、又人間の第一印象が「誠実」「信頼」に足りるものでありたいと思うのは私だけであろうか? 日々の生活の中で、きちんと整然と生きて、「人間力」が「信頼」に足り得るものでありたいと思う。
【無くなったと気落ちしていた50年来の手帳が返って来たー凄くHappyである!‼】 久し振りに心からの嬉しさが充満している。一週間前に50年来一度もなくした事がないポケット手帳がBagに中にないのである。もう先週は何も手に付かず、呆然としていた。 ものぐさで、他に書いておけばいいものをこういう形で無くすとは・・・?多分ボケが始まっているのだろう。思い出せないのである。可能性のある所は皆探してみたが見つからない。 皆携帯を忘れたと良く聞くが、これは今は財布と同様に価値があるので、財布と携帯だけはいつも同じポケットの所において常に確認しているが、この黒皮の手帳は3番目に重要なもので、必ず鞄にいれているが、最近時々忘れがちになる。それで大きなカバンに入れるようにしている。兎に角、慌てない事である。出来るだけ前日に洋服やズボンと同じく子供の時みたいにBed近くに置いておくが・・・・。 馬齢を重ねると「速さ」よりも「確実」「落ち着き」と「余裕」が大切である。時間に追われているとつい慌ててしまうのはなかなか治らないのが今の悩みである。 そうして気持ちが晴れないまま日曜日なので、私の書斎????のBarns & Nobleに行く。最初店員で黒人系の人に聞くが冷たくあしらわれて、カウンターに聞いてみなと指さす。だめだろうと思いながら白人の気のよさそうなお姉さんに聞くと、笑みを浮かべて「これですか?」と差し出してきた。期待ゼロであったので、この瞬間的な喜びは、近来にない位の驚きとHappyが溢れてきた。期待しないものがBig Supriseで現れたのである。何度も何度もお礼を言い、いつもの指定席につくが落ち着かない。 暫くしてなにか返礼しなくてはと思い、最近オープンしたスーパーが近くに出来たので、フルーツを6種位買う。幾らもならないが、買って渡そうとしたら、担当の方は今日はもう帰宅したと・・・・。しょうがないのでマネジャーらしき人に説明して渡した。まだまだ白人系の育ちの良い人は、こうした所作は失われていないと改めて見直した。 人にも寄るであろうが、育ちのよさそうな白人の方々は「信頼」がある。この「信頼」こそが「文化」であろうか。最近移民が多くて、嫌な事が多いが、郊外のこういう所に勤める人はまだまだ良いものをもってると改めて感じた次第である。 今日はあまりにもHappyだったので、帰宅して直ぐに書いてみたかった。ボケ防止は「心の余裕」と「準備」が大切であると改めて思った。
【Visionを持ち、一日を丁寧に生きる】 晩年になってくると「一日」をしっかりと生きる事は大変であるが、生きていると感じる楽しさはある。身体が若い時みたいにスムーズに動かない。又忍耐強さも無くなって来る。我慢がしんどいのであるが、自分が思う理想を持ちながら、その時にしか出来ない事をやる・・・小さな満足感を得ると、今日も活かされていて「ありがとうございました。」と就寝する時に自然と出て来ると言う心からの歓びがある。 一日を過ごす中で、「丁寧」に物事を遅くてもやり切った時は「充実感」がある。Cookingや掃除やアイロンかけをしていても、「学び」をしていてもどれだけ「丁寧」に真心を込めれるかであろう。 前日に或いは早朝に「今日やるべき事をあげて、メモする。」このシュミレーションが楽しい。色んな分野で、自分はこうしたいと言う「Vision」や「考え」がある。若い時の様に「速さ」はない。しかしじっくりと「丁寧」にやるという気持ちでやると遅いが「小さな達成感」がある。 今朝はこうやるという一番大切な事をまずやる。そうすると大体出来る。不思議なものである。これも物を為す時の【法則】であろうか。中国や韓国が「速く!早く!」が叫ばれている様ではあるが、ある意味若く未熟であると思う事もある。速さは稚拙に繋がる。それよりも丁寧に一つ一つを真心こめて「完全」になしうるのが一番だと思う。成熟さは伝統に繋がって行く。 日本の「物造り」こそが人生や世界の模範となるものではないかと思っている。Toyota, Honda、Sonyといった日本の会社が、10年、20年・・・・の長期で物事に取り組む。物造りは「日本」という伝統を創り上げている。日本で基本的な教育を受けた人間にはある意味誇らしさがある。 英国やアメリカが「物造り」の精神から段々と衰退してきたが、日本は今後もますます「日本文化」を上昇させて、「日本文明」と言われるまで、高めて行って欲しいと思う。 文化や文明を創り上げるのは「今日一日」を積み上げてこそ出来るものだろう。素晴らしい国家を創造するためにも、100年、200年のVisionを持ちながら、今日という一日を「誠実に丁寧」に築きあげて行きたいと思う。
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