【知性と美意識】 最近は「読書の秋」と言われる程、時候は良い。寒くもなく暑くもなく、程良い季節である。ましてや10月に入り、静かな中で、物事に耽たり、考えたりすると良き考えが閃いたりする。食が進むと同じく、思考も深まりが出て来るようになる。これから12月の半ば迄は、「思考」の収穫期でもある。仕事なら、これからの3か月は気持ちも乗って来るし、集中力が増す時節である。 仕事に夢中になっていた時が懐かしい。あまり深く考えず、会社経営の「存続」と「利益」を上げるために日夜「苦労」していた時こそ、人生の「華」であったような気がする。今一歩引いてみれば、今度は別の世界がある。物静かで落ち着きがあり、知性や、美や品性に惹かれる。 物事をより客観的、俯瞰的に見える事である。言葉を変えれば「覚めて」いるのである。「物造り」はしていない。「行動」的ではない。一つのものに目標をもって一途に励んでいない。しかし、今まで見えていなかったものが見える。特に【美】という事が前よりも見えてきて、拘りが出て来る様になってきた。 バランスが取れて、長所、個性がありながら、優しさが存在し、品性があるものである。都会は良い。色んな良いものが揃っている。百貨店、美術館、知性ある人間・・・・・歩いていて、品のある男性、女性問わず、美を感じる人も多い。 美の感性を研ぐにはやはり都会が良い。生まれ持った品性、感性はある意味変えられないが、「学び」と「気付き」でもっと昇華させて行く事が出来る。自分自身を客観視して、変える事が出来るものは改良と工夫でかなり違ってくる。女性でも美意識の高い人はスカーフ一つで、美しさが異なって見える。 仕事柄外を出歩く事が多かったので、自然と出歩く人々に関心を持つようになった。白人の方々は今まで、経済的に余裕があったのか、美意識が高かったからか、顔のSmileや容姿もかなり気を付けていたのだろう。バランスが取れていて、ハンサムなり、女性なら美しいと感じる方が多かったので、歩いてみて、それなりに美しい男女に会えば、立ち止まって佇んで見惚れた事もある。「美意識」があれば、何処にでも存在するものに目が自然と向く。 Smileと中肉中背のバランスが取れている方は綺麗である。綺麗さは「知性」を伴っている。これは熟年、老齢の方を問わない。特に老齢になってくると容姿や姿勢が衰退するので、かなり気を付けていなくてはならない。 人間は外観から入ると良く言われる。勿論品性は内観からにじみ出る知性であるが。小さな事でも気を付ける。靴なら磨く。ズボンならアイロンかける。服とズボンがマッチしているか?・・・・常にバランスと美に関心持つとそれなりに見えて来る。する方も見る方も楽しい。私は「整然」とした美に惹かれる。 最終的には「美」を創り出す事が文化ではないのか。色んな意味での美意識や感性を磨く。美に惹かれ、美を感じる、そこに愉しさがある。 物造りも美に繋がる。今後も「物造りと美」を追及したい。
【人生は物造り???】 最近ふと思う事がある。「人生とは物造り」ではないかと言う事である。「人間を造る」「日本は物造りの国」「物事を創造して行く・・・」「事業する」「経営する「子育てする」「今日一日を作る・・・・」。 全ての事は考え、計画し、目標を持ち、知識と技術をもって何かを作る。農業する、ある製品を作る、全ては物事を作りあげるのに、人生はあるのではないかとふと考える。 これって常識であろうが・・・・。今迄深くは考えてこなかったが、「人間を造る」「人格者を作る」と考えていたら、結局は我々は「物造り」をやるために生かされているのではないかと考える様になった。 昔から、どの分野であれ、その道を究めよと言われる。「歴史」を振り返れば、そうして創造し、工夫・改良しながら、人類は発展してきたのであろう。深く考えないで、「経済的に余裕を持つ」と言う事にだけ捉われてきた一面があるが、物事の「本質」を考えれば、人間は「物造り」に携わってきたという事が良く理解できる。 こんな「当たり前」の事を何で深く考えてこなかったかと言う事である。最近、You Tubeをみていて、「法隆寺」「金閣寺」の動画をみていて「綺麗」だと思った。日本人は素晴らしいものを作る国であると・・・・。又日本人は「求道」と言う言葉が好きである。一つの事柄、柔道や剣道や恐らく野球等も、日本人的には「野球道」に近いのではないのだろうかとも思う。 全てに「道」がある。特に「人生道」も同じ様に言えるのではないだろうか。「物造り」は結局は「人生道」と言う事になると「考える」に至る。それ故に我々は読書して「歴史」から「法則」を学び取ろうとするのであろう。「歴史を学ぶ」と言う事は「法則」を学び、日本的には「求道」であろうか。 最近書を読んでいて、「基本と法則」「原因と結果」という言葉に惹かれる事が多い。それは全てが「宇宙の法則」の基にあるからだろうと考えるからであろうか。すると物事の本質に行きつく。「人生とは・・??」と問う時に、色んな面から考えられるが、今日は「物造り」こそが「人間造り」であり、「今日一日を作る」そして「人生を造る」事に繋がって行くと考えると、何事もいい加減ではなくきちんと「美意識」をもって作り上げるのが大事であると・・。 便所掃除・床掃除・Cooking・・・・全ての事に「物造り」がある。新幹線で掃除をする方が7分で綺麗にすると言うのを観た時に、ここにも日本の「物造り精神」があるものだと感じた。昔のアイリッシュ系のアメリカ人、英国人、ドイツ人、そして日本人には「物造り」の精神がある。人を作り、国家を創り上げて行くには、「物造り」「求道精神」が必要であり、これを何処の民族より優れた精神を持つ「日本・日本人」こそがこれからの世界の指導者になって行く性質を持っているのではないかと思う。 アメリカから客観的に世界を俯瞰した時に、良き伝統を持つ民族が「伝統」を継承して行く、そして常に今よりも良いものを或いは社会を作ろうと言う「気構え」がある限り、もっと発展出来るのではないかと思った。 今朝のひと時は、想いと創造の「時間」であり、「人間の一生は物造り」にあると考えさせて下さった「神様」に感謝したい。「想いが人間を造り」「歴史を作って」行くのであると・・・・。早朝の静寂なひと時は、創造する、考える時間には最適であり、日々の習慣が「人生」そのものを作っていくのではないかと考えさせられた。今朝のひと時に「感謝」したい。
【正しさと共にコミュ力を磨く・・・】 近代、現代ではどれだけコミュニケーション力を高め、論理的に感情を表に出す事無く、丁寧に述べる事が出来るかという事が求められる。それには豊富な「知識力」「情報力」が必要であり、如何に「論理的」/「客観的」に物事を洞察するか、そしてそれが宇宙の「法則」に則っているかではないだろうか。 文章でも話す時も、又相手と論戦する時も常にこれは【正しい】のかと問いながら考え、話す事であろう。物事の「本質」と共に、コミュニケーションという「技術」を磨く必要があり、且つどんな時も顔にはSmileと共にある事である。 かっては「誠実」にと言う事が一番であったが・・・。それは今も変わらないが、明るく、Smileを持って、相手と向き合う事が重要である。顔の表情やしぐさはとても大切である。相手と話す時は常に「誠実」であるが、中身は「正しく」でありながら、どんな時も丁寧に相手を尊敬・尊重しながら、上手に話すという「高度」な技術力が大切であると・・・・。 最近の自民党の総裁選をYou Tubeで見ていて感じた事である。まさにショウタイム、ショウビジネスと言っても過言ではない。特にTVやYou Tubeを見ていて、人前で話す、パブリックで話すと言う事は、自分の言葉で、明確に話せる事であると・・・。 時代は変化してきている、昔ながらの「実力」で示せ!という事は時代を問わず当たり前であるが、どれだけの「表現力」を持っているかが問われる。知的と言われる事はそういう事であろう。詭弁で流暢な事では相手を納得させる事は出来ない。Smileを保持しながら、ゆっくりと相手の目をしっかりと見つめながら、ソフトに話す事が求められる。 こういう問題意識を持ちながら、物事の本質や真理を捉えて、話す術を磨く事であろうと・・・・。もう罵声を出して威嚇する時代ではない。如何に論理的にSmileを持って、誠実・丁寧に話せるかというコミュニケーション力が問われる時代である。 知識・知的社会とはそういうものであろう。又服装等も大切であり、見た目にきちんとして整然としている様に「心がける」事だとも思う。もっともっと人前で話すという訓練をして、磨いて行く事であろう。「センス」が良いと言われる迄、全ての分野で磨く事である。 ある意味俳優業にも近い。中身と外側の双方が求められると・・・。その為に会話中でもsimple/Clearに的確に話す。【語彙の選択】が大切になる。それは日頃から意識して使うよう努力しているかどうかと言う事になる。労働社会から知識社会に移り変わってきたのであれば、そういう事の気付きや問題意識を持ち、日頃から切磋すると言う事を認識すべきでなかろうかと思った。 時代は変わってきている。それに「適応」出来るように「コミュニケーション力」を高めていく事ではないだろうかと自民党の総裁選を見ながら学ばして頂いた。この気付きに「感謝」しながら、自分はどうかと問い直し、日々の生活に取り入れて行きたいと思う。
【生きる・・正しさ・・哲学を持つ】 生きるとは「宇宙の法則」に則っとり、正しく・・・自分なりの【哲学】を持つ事ではないかと思う。 国家のVisionを持つと同様に、個人であっても自分はどんな「生き方」をしたいのかを自分なりに持つ事が重要だろう。これは常に「正しさ」「強さ/優しさ」「美しさ」を持つものであると思っている。 特に「正しさ」と「美しさ」は真ん中に来る。【正しさ】が軸となり、全体が美しく見える事である。心の内と外観を問わずである(外柔内剛)。私は絵は描けないが、SotherbysやCristies のオークションを見に行くのが好きで良く観に行く。稀な物は高いが、多くの絵の中で、「基本」が出来ており、「整然」としてバランスの取れた作品には「美しい」と感じるものが多い。これは恐らく、人間も、生き方もどうようではなかろうか。 美しさの中には芯となる凛とした「正しさ」が常に存在する。最終的には「人生はArt(芸術)」であると思う。まず思う事。こういう絵を描きたいと思わなければ、絵は描けない。それと同様にこんな「生き方」をしたいと思わなければ・・・生き方が定まらない。 色んな方と日々出会う。男女問わず、人種問わず、「正しく」生き、凛とした人は絵の様に輝き、光があり美しい。今の日本の首相をみていると国家観がない。日本をこのように導いて行きたいという「哲学」がないのが残念で仕方がない。問題が起こるたびに是正ばかりである。こうしたいという哲学があれば、人は付いていく。恐らく勉強とこうしたいという明確な意識の欠如と、向かおうと言う姿勢が、不足しているのであろう。 どんな組織であれ、Topに立つ方は「正しさ」に基づいた、【哲学】を持っているものである。私はそんな人に惹かれる。今は「哲学」を持つとは古い生き方かもしれないが・・・・。現代風に言えば、「哲学的な感性を持つ」と言った方が良いのかもしれない。 ただ表現はソフトな言い方が大切であり、語句や語彙選びは重要である。文章の上手い方は適格な「語彙」を用いる。日本語/Englishを問わず。 コアは凛とした正しさを持ち、外観は柔和で内側は剛毅で、全体として「清潔で品」を持つ良き人間でありたい。これも一つの生き方であると思う。
※ 物件によっては、既にレントされていたり、オファーが入っていたり、或いは売れている場合もありますので、ご了承ください。