【Englishは世界の共通語である。なぜもっと真剣に捉えないのか?】 米国に長く住んでいると「English」が当たり前であるが、世界の【共通語】は「英語」なのである。もう通訳が必要と言う時代ではないのではないか?と不思議でたまらない。 自国で小学6年生迄に或いは中学2年生位迄に「日本史」と「掃除」と「道徳」/読み・書き・算盤だけをしっかりと「教育」すれば、もう米国で「学び」をすべきだろう。 米国はまだ100-200年はもっと「移民」を受け入れるだろうから、もっともっと日本からも来て、先端の「教育」を受けたらいいのではないかと常々思っている。 それでは生活はどうするか?と言う事になるが、親がラーメン屋か寿司職人の腕を磨き、米国で経営して2代目、3代目を教育したらいいだろうと言うのが私の考えである。日本で7科目?の受験が出来る方々は日本で雇用するが、3科目、4科目でしか受験できない方はもう「職人」の道を選び、高校卒業後は私大に行くならば、夜間はレストランの寿司・ラーメン・居酒屋等で「技術」を磨き、職人として米国に来たら良いと思う。 米国は「日本」及び「日本人」が大好きだし、【信用】している。日本の中学迄の「教育システム」は世界に類をみない素晴らしいものがある。ただ高校教育以降は全く酷い。高校・大学・大学院は「米国」で過ごすべきだろう。マスコミもこういうやり方をもっと勉強して方向性を示して欲しい。 アジアからも、中国、韓国、フィリッピン、タイからはかなり移民として米国にやってくる。又親がある程度成功して米国できちんと「教育」を受けさせれば、【大統領】にすらなれる。 今度米国の大統領になるトランプ大統領のお父さんもドイツからの「移民」である。彼は2世なのである。3代、4代ではない。子供にこんなチャンスを与えてくれた「親父」に感謝しかないであろう。 「English」が出来るだけで、無限大のチャンスがあるのだ。殊更日本と言う枠組みの中で人生を終える事はない。子供は親を選べない。米国で生まれ、教育を受けた方々はもう親と米国に「感謝」しかないだろう。 私は学生時代からそんな考えを持っていた。中学生の頃から世界を「俯瞰」していて、大学が終われば、アメリカに留学するか、アメリカで起業すると言う事をおぼろげながらに感じていた。 50年程前は、アメリカは「白人社会」であったが、「時代」は動くのである。女性が社会で働くと言う価値観は当時はほぼなく、旦那の稼ぎでやれないから・・・・というものであった。 時代は変容し、価値観は変わる。たかだか50年である。最終的には「英語」が世界の共通語であり、それが母体である。何か起業したいなら、米国と言う無限大の可能性と英語という共通語だけでも十分であろう。 日本でそこそこに起業して成功された方なら、子供は是非「米国」で「教育」を受けさせて戴きたい。ましてや、東大・京大に行ける位の頑張りが出来る方なら、コロンビア大学位は十分に行ける。私は客観的にみて、この2つ日本の大学は世界では20番前後とみている。「英語」で講義出来れば、理数系なら12,13番位の力量はあると思う。 出来たら幼児の時から日本にいながら「英語」で兄弟なり、周りに英語で過ごす人がいる環境であれば、チャンスは幾らでもある。親の仕事は自分の成功よりも「子供」の環境作りに全力を尽くす事ではないかと思っている。
【人生の深さを愉しむ】 最近は「人生が楽しい‼」物欲や金銭的な社会的な興味がかなり薄れて来て、内省的な充足感や満足感があれば、精神的にかなりHappyであるからであろう。 若い時や熟年の時は事業や子供や家族や従業員の事等考える事が多く、悩みもかなりあり、ストレスも溜まっていたが、これらの「義務や責任」が薄らぐと段々と自省的なものに惹かれるようになってきた。 特に仏陀やギリシャ的な哲学やストイックさに興味が出て来て、人間の在り方、生き方に自分自身に問いかけをしているものがある。又美しさや人間の徳や、柔和、穏やかさ、落ち着きという【静的】なものに凄く惹かれている自分自身がある。【品性】は金銭的に又内面の「余裕」から自然に滲み出るものであろう。 物的には「年金+アルファ」位で食べれれば良い。普通の食事で簡素であれば、申し分ない。これを特別に食べたい、何処かに旅行したい・・・・というものが殆どない。ただ、【内面の充実】こそが満足であり、Happyである。 今は【愛・丁寧・正しい・誠実・謙虚・素直・感謝】と言った言葉と意味に特に関心がある。これらの言葉だけでなく、日々の生活に根差したもので、日々想い、感じる事だからだろうか。 愛はたおやかで、相手を受け入れて、赦す、そして相手の立場で考え、善き言葉でゆっくりと話したり、態度で示す。若い時は言葉だけであったが、最近はその言葉に意義を見出す事が多くなって来た。 先人が御創りになった「言葉」は素晴らしい。正に人間の「知性」を感じる。この言葉をしっかりと理解し、日々の生活の中で活かして行きたいものである。先人と言うより「神様」から戴いたものであろう。 聖書の中の「ヨハネの福音書」だったと思うが、多分、「初めに、言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。・・・全てのものはこの方によって造られた・・・」とあったと記憶しているが、最近になって、言葉の凄さに改めて感銘を受ける事が多い。 雑に生きてきたものが、日々の生活を「丁寧」に生きようと思う様になり、言動に留意し始めると、「言葉」の持つ重要さに気づく事が多くなった。「知的な生活」に向かう時には、言葉と言うコミュニケーションが凄く大切であるからであろう。 今後益々、色んな意味で、言葉や世の中、人間、自然・・・・とあらゆる分野での気づきが多くなる様な気がする。今まで感じられなかったものが角度を変えて、理解できるだろうと思うとワクワクする。 今後は人生の「知的」なものをしっかりと楽しんで、生きたい。
【Japanー政治3流/教育2流/経済・民度1流】 今日は今のJapanを総括したい。最近の日本のマスゴミと政治にはあきれるものがある。アメリカのマスコミも従来の中立的なマスコミから客観的ではなく、かなり不偏不党であるが、日本のマスゴミは【知性】が全く感じられないのが残念である。つまり「勉強不足」なのであろうと思う。「英語」ではなく、「日本語」という特殊の中で、十分に物事の事実に厳しく、世界の「俯瞰」が出来ていない。又自国、日本を愛していないか、よそ者がTopに立っているのかもしれない。 まず自分を愛せなくて、又自国を愛せなくては物事が進まない。自分がちゃんと「独立」していてこそ、他を愛せるのではないかと思うが・・・・。物事には「法則」がある。自分を51%愛しながら、利他に励むのがいいのだが・・・。自虐的になる必要は全くない。過去はもう終了しているのである。 今の日本は「自己の独立」が残念ながら存在しない。特に酷いのは「政治」と「教育」の世界であろう。私は今の時代は内政もさる事ながら、「English」でコミュニケーションが出来ない方はもう首相になってはいけないと思っている。ましてや、日本のTopであれば、米英に限らず、世界の方々と交流しなくてはいけない。最低限安倍首相位の英語でのコミュニケーションが出来る位の「首相」であって欲しい。 不思議でしょうがないのが、米国で活躍する野球選手に「通訳」を付けている事である。南米からの選手には通訳がいないのではないか?日本人だからという特別性はいらないだろう。 今の日本の石破首相は酷すぎる。折角安倍元首相がG7の中で、「Japan」を米国に次いで世界に広めてくれたのに、その後の菅、岸田首相は「哲学」がなく、酷かったが、今の石破首相はもうTopとしてより、人間として酷すぎる。選挙で敗北して、責任取らないだけでなく、「能力」がないのである。自分で辞める能力もない。又自民党から彼はダメだという声すら余り聞かれないという事は、自分達で自浄すらやれないと言う事だろう。もう日本と言う内省的でなく、Japanとして世界の中で闘える首相であって欲しい。 自民党が次の選挙で大敗北して、今の40代、50代の新しい感性を持った方々と変わってほしい。日本には十分なお金がある。これをもっとNew Industry を注ぎ込んで欲しい。国家として毅然として、経済の確立をすべきだろう。 政治を立て直すには全てを「クリーン」にして行くだけで良いのである。経済界は会社が上場される時は厳しく査定され、第3者の眼で客観的に判断が出来る「会計システム」になっている。政治も政治資金や他もきちんとした「システム」作りをすればいいだけである。それと「決断」である。政治の役目は「方向性」と、「クリーン」と【決断】であろう。 又教育界もまだまだ酷すぎる。もし私が東大の学長であれば、講義の半分は「英語」でやり、残り半分は「日本語」でやる。日本の「技術」は恐らく世界でも有数であろうし、英語で講義して、世界中に認知されれば、日本の東大、京大はコロンビア大学の上に行くと思われる。これは世界の中の東大として、Top及び、教授連の怠慢だろう。(英語で講義できない教授はやめるべきである。) 【民度】は他ではない位に素晴らしい。日本の小学校の「掃除システム」は素晴らしい。これを中学・高校にまでやるようにしたらいい。掃除システムは【躾】教育という事である。「躾&教育&創造性」で自立している事だろう。これがまさに【教育】であると思う。 国家を運営して行くには「システム」が大切である。日本は「資本主義・自由主義」という良いシステムを持ちながらそれらの「本質」が十分に活かされていないのは残念である。もっと教育に確固とした実力があり、若い時に組織運営のTop運営の経験があり、独立し、【決断】が出来る人が国家のTOPに立って欲しい。 もう日本語と言うローカルの世界ではない。「英語」が出来て当たり前の世界である。英語と言う道具を使って、もっともっと世界に羽ばたいて欲しい。目覚めよ日本!と言いたい。日本は品格と実力はある。世界を俯瞰して政治や教育で世界のTopになれるように努力して、各分野で、常時世界のTop3の存在であるべきだろう。都市ではNY/ロンドン/東京なのであるから、他の分野でも出来るだろう!!是非これらを成就して次代にバトンタッチして行く事を強く望む次第である。
【今年も新しい事にチャレンジしたい!‼】 タイトルだけだとかなり大きなものに見えるが、今年は10年計画で「Stock」をやり始めたいと思っている。今後10年生きているかどうかわからないが、馬齢を重ねても、毎日2時間だけならやれそうな気がする。 若い時にも取り掛かりたかったが、自分自身の中で、「知的な仕事+肉体労働」こそ「本業」という意識が強かった。ましてや、1960年代、1970年代は「知識産業」はまだまだある意味、馬鹿にされていた風潮があった。 人生は「実業」で稼ぐ。株などの「汗」や「苦労」しないで、稼ぐなんて・・・という意識がかなり強いものがあった。唯、肉体労働しなくて、お金を稼いでは老齢になって困るのでは?という意識が強かったのは否めまい。 時代は変わって、特に「頭脳」を使って稼ぐ事はなんら違和感はない時代となり、どちらかというとそちらの方が今後十分に伸びそうである。今からなんてむしろ遅い位である。若い時に肉体を使う「フード」ビジネスをやったお陰で、包丁は使えるし、キチン、床、便所、あらゆる掃除も苦ではない。 常に「工夫や改善する」事や【Creative】な事は常に頭にある、「人生作品」「物造り」を作り上げる事こそ「文化」の一部と言う認識がある。身の回りは殆ど出来るのが嬉しい。料理も味付けに拘らない限り、「初級+・・」迄は出来るし、毎日のアイロンかけも苦にならない。掃除や洗濯は考えなくても、もう一日のルーチンとなっている。 【習慣】とは凄いものである。取り立てて、新たにエネルギーを注入しなくても自然に出来るのである。何事も一番大切な事は、【小さな事】の毎日の【積み重ね】である。毎日5分の意識と10分何かをやる。小さな事を「完全」にやる事である。これをまず一週間、一か月、三か月【継続】出来れば問題ないであろう。 「継続」とは【複利】であり、1年後には「37倍」になる事を皆さん知っているだろうか。「成功・人生の勝利」をされた方々は皆この【法則】を気が付かないうちに獲得していたから出来たのだろう。 毎日これを15分だけやる。そうしたらやりたくても止める。エネルギーのSaveである。ここ3年位前から【瞑想】を意識するようになって、「落ち着き」が出てきて、「怒り」がまずなくなった。「瞑想」は意識して無意識になり、頭を空にする事である。時には電車の中でも本を読み終えた時や、考え過ぎた時にほんの僅か5分だけ、簡単に目を瞑る。其れ迄の疲れや悩みの感情がすーーと消えて行く。そして又新たにエネルギーが湧き出て来る。一度「捨てる」と言う事なのだろう。 自分なりの「5分・15分」の法則でかなりの事が成就出来た。今朝もBed Makingをもっとホテルのメイドさんみたいにと心に思って取り組んだら、「完全」に出来た。この小さな「心がけ」で取り組むと一日を作り上げるのが愉しくなる。 今年はまず毎日「Stock」の勉強に取り組む。3か月は15分だけであり、これを【繰り返す】事から始めて、3か月継続出来たら、20分やる。今年は30分、毎日取り組めるようになれば、OK、達成感がある。 そうして毎日【記録】する。これも血糖値を測るのと同様に、「記録」して【数字】で客観的に理解していく事が大切。生きていれば、[$100Million]を稼ぐ大きなVisionを持ちたい。それにはまず一日「15分」から嚆矢する。そこからの始まりである。今までの財産は女房に残すが、これからのStockで上手く儲けれたら、社会に「寄付」して一生を終えて行きたいと言うのが今年の年初の想いである。出来るかどうか、【継続」という【習慣】をつけれるかどうかにかかっている。是非やり遂げてみたい。これが【今年の抱負である。】
※ 物件によっては、既にレントされていたり、オファーが入っていたり、或いは売れている場合もありますので、ご了承ください。