【ユダヤ社会は教育とお金???】 週末に息子夫婦が久しぶりに我が家を訪れた。息子はBank of Amerikaでかなりの成績をあげて、営業で全米NO1/NO2の成績を幾度かあげたらしい。28歳でVice Presidentの肩書を貰い、その後NYで起業し、又日本でも起業した。NYでの体験を上手く日本で拾ってもらい、本を3冊出版した。日米を行ったり来たりしながら、我が家を訪問する度に、「人生や経営」について聞いてきた。最初は彼の意図がよくわからなかったので、私もかなり真剣に応答していた。もしわかっていたらそんな本なんて出すなと忠告しただろう。 私自身も40年位前に新潮社と講談社からNYでの起業や「成功物語?」を書いてはどうかと何度も依頼を受けたが、かたくなに断ってきた。お陰で、恥さらしをすることが無くて良かったと思っている。それを息子がやってしまったと聞いて、恥ずかしかった。NYで生まれただけでadvantageを活かすなんて本当に寂しいと思ったからであった。 NY生まれなら英語が出来て当たり前であり、「世界」を目指すにはそれ以上であって欲しかった。私も「英語」では苦戦した。特にユダヤ人との「交渉」の時はかなり虐められた。きわどい所になるとスラングや難しい「英単語」を使ってくるのである。子供だけにはそうさせたくないと思い。夏休みはユダヤ人社会の超高級キャンプに行かせて、「ユダヤ式教育」を受けさせ、夏半分は日本の小学校に「お客様」として約4週間日本の学校に送り込んだ。 「教育」が全てと言うユダヤ人社会の近隣に家を買い、「友達」の多くはユダヤ人の様であった。私も25歳で起業したので、NYはジューヨークと言われる事には慣れていたが・・・・。1970年代はまだまだアメリカは白人社会であり、Citi Bankにはユダヤ人が一人もいなかったと記憶している。それ位に差別があったが・・・・。1985年位から一流金融関係は殆どがユダヤ人経営の社会であり、リーマンブラザーズ、ソロモンブラザーズ、ゴールドマンサックス等のユダヤ人だけの中堅会社がPublicせずに伸びて行った。 NYは金融の社会である。「お金」を儲けるのが当たり前と言う「考え」はユダヤ人を通して社会に浸透して行った。そのあたりから英国系アメリカ人がもっていた「モラル社会」は次第に衰退して行くのである。日本人として教育を受けた我々はどうしても「お金」には今一つ徹底できず、中途半端であった。 渋沢栄一に見られる「論語と算盤」が西洋(英国・ドイツ・フランス等)では当たり前であったのだろう。(倫理とお金のバランス)そういう意味では渋沢栄一は先見の眼を持っていたのだろう。1867,8年頃に西洋を見分して、それを日本にもたらし、日本の経済界に多大な影響を及ぼした。日本の明治期にこんな人物を輩出させた日本国、日本人は素晴らしいと思う。恐らく、日本には江戸期から「教育」の素地が十分に出来ていたのであろう。 国家の繁栄は「教育」「経済」「防衛」「モラル」であろうが、【教育と経済力】こそが、国家を有意義に導く・・・。典型的なのは長く国家が無かった「ユダヤ人」の生き方であろう。これこそ今、日本が見習うべき手本のような気がする。
【明確な目標・問題意識・基本・改善】 大きなVisionと共に、今週やる事、「今日」やることを「書く」。一つ一つに問題意識を脳に認知させる。今すぐに良い案が浮かばないが、脳の中に「問題意識」を持たせておくと、何かの時にふと閃く。それを直ぐにメモる。私はその時の為に常にポケットに入る位のメモとペンを持ち歩く。又気付きも書く。 ゴミ拾いではないが、歩く時に、社会の変化や人間模様を見るのが好きで、常に頭の中には、「Something New?」を求める気持ちを持ちながら歩く。そうした「姿勢」で歩くと意外な発見をする事が度々ある。 歩くのは「健康」を兼ねる。不動産屋なので、5日間毎日、地域を変えて歩く。面白いのは「店舗」で空き店舗の連絡先である。昔は空いて3日間でお客様に貸した事が何度もある。これは常に「問題意識」を持って「何かないか?」と意識が脳に潜在的にあるからだろう。お陰で、かなり成功した。毎日のこまめな【努力】と【継続】であろう。 店舗だけでなく、「Building for Sale」はもっと面白い。NYには「お金」が捨てられているのである。Buildingは寒いよう・・・早く買ってくれて、改装して下さい・・・と希求している。店舗やビル売りをみたら、写真を撮り、自分がオーナーならどうするかを「考える」。するとかなり良い案が浮かべば、帰社してA4ノートに書いておく。 すると数か月してそれに見合ったお客様が現れるから面白い。日頃から自分がオーナーならと考えているので、お客様に伝える時には説得力を持つ。それでお客様が成功して下さると、自分のお店を成功させた様に嬉しい。又古いビルの時は地下鉄から歩いて5-7分歩いてみる。ここを改装改善したら・・・?1Bedが例えば$1800とする、改装して付加価値を高めたら$3,200-$3,800で貸せるかどうか?を考える。ビルが古くても全部が「Free Market」の状態なら即、お客様に連絡して、アイデアを差し上げる。 そうして多くのNY・マンハッタンのビルをお売りさせて儲けて頂いた。極めつけは20年前に60万ドルでお買いになったビルを6億近くでお売りした。リタイアはハワイで・・・という念願がかかって大変に喜ばれた。ビルは20年位で見ると大体は儲かる。ハーレムや中華街近くでお買いなったお客様も、約20年で大体10倍になっていたから、株より良かったですと感謝された事がある。 こういった事は日頃から「問題意識」を持って、小さな「気づき」を積み重ねたきた「努力」であろう。人生は大体皆成功するという「法則」を知れば、簡単である。問題はそれを「継続」出来るかどうかであろう・・・。 成功は「明確な目標」と「問題意識」を持ち、日々の「積小為大」と「継続」という【法則】である。これを20年、30年やれば、ほぼ【成功】する。人生は長い様で短い。「やってみなはれ!」と言いたい。誰でもこれをやれば、成功しますよ!
【文化とは物造りであり、今日一日を作る事ではないか?】 馬齢を重ねて来ると物事を冷静に客観的に洞察する事が出来るようになるのが楽しい。物事は既に過去の「歴史」で行われていて、取り組みは現代風に変えられて来たに過ぎない。それ故にその原理原則は「歴史」や「科学」から学べと言われるのであろう。 人間の「感性」的なものは古来のインドや中国の明辺りまでを東洋的と言われるには抵抗はない。明以降の中国は今一つで負の要素をかなり持っているので、失敗例としての学びであろうか。 西洋でも東洋でも大陸であれは王朝が変わるたびにそれらを打破して行く。お陰で良きものも皆打ち壊されてしまう。唯西洋は大きな流れの中でも全てを打破する事は無かったのか、文化の価値観や技術や伝統が残ってきている。又英国や日本は島国であったお陰で、争いはあっても完全否定する事無く、良いものは良いとして伝統として引き継がれて来たのだろう。 イギリスやドイツやイタリアは「技術」に関しては脈々と伝統文化として綿々と引き継がれてきている。G7と言われる国は皆そういう良識や、良き価値観を持ち、ストイックさを持ちながら相手を認め、尊敬するという意識がある。つまり人間として「何が正しいか」という「基本」が存在している。 人間を造る前に、物を作り、社会を作り国家を作っていく。物造りは今日一日を作り上げて、相手に迷惑がかからないように、相手を思うと言う【民度】があるかどうかであろう。物造りは良いものであり、長く保持できるものである。車などを見ているとそれが良くわかる。アメリカ・韓国車は5年位しか持たないが、日本車は20年もつ。安心出来る。社会的にも、あいつは「安心・信用」出来ると言うものを感じさせると間違いないだろう。 韓国が他国でダムを造り、崩壊したり、中国の高速鉄道が脱線して多くの方が亡くなったりしている。You Tubeをみていると、列車の中が汚かったり、時間通りにこなかったり・・・・街が汚かったり、整然としていない。日本は綺麗好きであり、何処でも整然としている。これは物造りには欠かせないものだし、直ぐにできるわけではない。延々と作られてきた歴史であり、伝統である。これがかっての英国や米国であったが・・・・・。 どの分野でも古くなるが、創意工夫して、全部捨て去るのではなく、改良・改善して残して継続するということこそ文化の一つであろう。文化を作るとは物を作る、人間を造る、そのためには「今日一日」をしっかりと作り上げる事である。これこそが「文化」であり「民度」を高める事になる。 そういう気持ちで一日一日を過ごしたいものである。
【大きな目標と日々の実践】 時々、真の「幸福」とは何か?と問う時がある。毎日をただ生きている時に「虚無感」に襲われる時がある。そんな時に「小さな出来事」に「感謝」して「満足感」を覚える時に、今まで生かされていた事に、歓びを感じる事がある。そんな時にこそ、東洋的には「悟り」の境地になり、これも「人生」かと思わされる時がある。 若い時はこうしたいという「大目標」があり、夢をや願望を持つ。又それに向かって走れる。無我夢中という事である。晩年になって来ると、不思議なもので、現実の小さなひと時に「満足感」を見出す事に気づく時がある。 歩いている時にそのすぐ傍に綺麗な小さな花が咲き乱れている。そこではっとした気づきがある。これを感じた時にああ、人生はこのひと時こそが「大切」と思う時がある。 高めを目指す事は決して悪い事ではない。しかし「今」という現実こそしっかりとこなし、「小さな満足」こそ、晩年の生き方ではないかと・・・・。 「満足や感謝」は身近な所に存在する。日々の小さな事の「実践」の積み重ねこそが生きる事ではないかと何かお坊さんの「悟り」の様な感じが襲ってくる時がある。 欲望や願望を抜き去り、ありのままの「今」を楽しむ。その内面的な歓びこそ「人生」そのものではないかと・・・。西洋的な勝利・成功も大切だが、東洋的な現実的な「小さな事」に歓びや感謝を見いだせる時に、「生きる」楽しさが湧き出て来る。 「茶道する」、「お花を活ける」と言う事も、それに近いかもしれない。日本人はこの「小さな」中に、人生を見出してきたような気がする。この辺りをもっと「深めて」みたいと思う。
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