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SAKAI FUDOSAN NEW YORK BLOG
【中庸 和する・穏やかさ・・・・」
Fri, September 20, 2024 9:55

【中庸・和する・穏やかさ・・・・】 晩年になって来ると、「中庸」という言葉に惹かれる。本来の意味は儒教の四書からのもので、孔子か弟子だったか・・・その後荀子がまとめたものだっと思うが、かなり前に読んで、惹かれた思いがある。若い時はなかなかこの漢字の意味するものは頭で理解出来ても、腹に落ちてこない。 物事が客観的に見えるようになって、「中庸」の良さが理解できるようになってきた。若い時は積極的で、拡大主義に走りがちで、広く浅くに・・・になってしまう。「深さ」がないのである。【深さ】は文明や文化がかなり進んできてたおやかさ、熟成・・落ち着きが出てきて昇華して行くものであろう。 近代の西欧の文明や文化をみていると、1700,1800年代は勢いがあり、まさに若さでぐいぐいと攻めている時だった思うが、1945年以降になって、世界が落ち着いてくると攻めより、穏やかさが良くなってくる。 日本も1960ー1990年位はまさに攻めの時代であったし、それ以降の30年のなだらかな感じでの生き様もそれなりに良かったと思う。大きな流れでは徳川期の260年が「日本」を作ったと言っても過言でないだろう。あの豊饒の落ち着きのある時がその後の明治以降の150年を作ってきたのであるから。 世界を見渡しても約5000万人以上の国を「国家」として見た場合は文化、民度では今の日本は世界のTop3に入るだろう。特に「民度」が優れていると思う。ただ穏やかで、秩序や清潔さを持ちながら、整然とする社会の中での「中庸」は、物事を「客観的」にみてもバランスが取れていて「美しい」。 晩年になると【洞察】が鋭くなる。物事を一歩引いて、或いは俯瞰してこそ本質や真実が見えて来る。これは私が思う、「宇宙の法則」であろうと思っている。 物事の原理原則・法則が見えてくると、凄く楽しい。中庸であり、和であり、穏やかさや、落ち着きである。無理せずに、今ある事にゆっくりとそして確信に満ちた中で、全てを受け入れて行く。たおやかな流れの中の中庸に日々惹かれる。こんな時に、心身が健康であれば、「晩年」もそれなりに良いものだと思う。週末は今まで読めなかった「書物」をゆっくりと紐解き、物事の原理原則&体験・経験を推考して、「深さ」を追及したい。 「求道心」と「思考の深さ」から【中庸】を楽しみたいと思う。

【民度や文化は躾が基本】
Thu, September 19, 2024 15:28

【民度や文化は躾が基本】 今アメリカのみならず、文明国と言われる国に多く方々がimmigrant (移民)としてやって来る。少子化対策か、米国では民主党の政策なのかは明確ではないが、米国には世界中からやってくる。南米のみならず、中国・インドや東欧・ロシアからも・・・。 一番困るのは、皆米国の社会の「標準」に合わせることなく、母国の価値観で物事を推しはかろうとする。インドや東欧、それなりに西欧のやり方をある程度理解しているように見えるので、比較的すんなりと入り込める。問題は中近東、中国からの移民である。南米は比較的、まじめであり、余り大きな害はないように見える。 レストランなど下働きは南米の方が多いが、ある程度のモラルはあるので、雇用するには問題がないように見える。問題は中近東と中国である。中近東は貧しさが半端でなかったのか「盗む」という行為に関しては要注意を必要とする。(皆ではないが・・・) 一番困るのは中国からの方であろう。モラル意識はかなり低い。何度か会議室を貸した事があるが、殆ど後かたずけしない。飲みっぱなしや食べたあとの袋がそのままになっている。つまりある意味の「常識」に欠けている方が多かったように思う。10年前迄はそうではなかったが、最近は酷い。要するに「雑」なのである。これは韓国も同様である。 中国や韓国にレストラン工事などを発注するとかなり安いが、出来上がりは良さそうであるが、かなり手抜きが多い。日本人やIrish系やアメリカ人等に見積もりを取らすとある程度の「常識」の値段を持ってくる。中国系に工事を頼むと3年位したら壊れたり、再度依頼しなくてはならない。日本人の場合は5-7年は持つ。(皆とは言わないが) 40-50年程前は良きアメリカ人・・・と言われた方々は家庭でそれなりの【躾】がなされていて、「成る程・・・」と理解出来たものである。つまり倫理観・モラルが存在したのである。これが【民度】や【文化】なのだろう。民度や文化は「躾・モラル」と「知識教育」と言われるものであろうか。 国家と家庭の裕福さが、モラルや躾を付けるには重要なのかもしれない。或いは「気質」みたいなものもあるのかもしれない。人に迷惑かけない【思いやり】こそが「民度」に繋がる。自分は間違っていないという自己主張もいいが、何事も相手があっての事である。 民度を高めるには家庭でも躾とモラルの向上は欠かせない。「教育」とは知識だけでなく、人間としてどうあるべきかが問われる。まずは「モラル」と相手に対する「思いやり」があって、【知識】を向上させていくという事が重要だと思うのだが・・・。

【今日一日を毅然と堂々と・・・・・】
Sun, September 15, 2024 6:25

【今日一日を毅然と堂々と・・・・】 週末は「心の余裕」があるから好きである。恐らく5日間と言う働く日があるから、ゆっくりと休む週末が良いのだろう。「仕事と休息」このバランスを上手に使いたい。 屈伸の体操をして、身体を柔らかくし、サラダを食べて、家の近くの散歩道を始めはゆっくりとそして段々と速く歩くと爽快である。そうして帰宅しシャワーを浴びて、血糖値を記録する。「記録」するという「継続」の習慣は凄い。「継続」すると「強さ」が出てくるし、努力しなくても自然に出来る様になる。 【良き習慣】をもって「人格」を磨けば、盤石になる。体力、知力、意欲を付けてしなやかでありながら、鋼の身体と優しき心を持っていたいものである。 最近は優さしも大切であるが、「毅然」とした佇まいと「締まり」に気持ちが行く。私は全てが「整然」とされて、「綺麗」であり、「締まり」があるものが好きである。「強さ」の中に【美】がある。それ故、己自身の中に、「毅然」としたものに惹かれるし、そうありたいとも思っている。 人間は色んな心の持ち様があるものだ。毅然としたものにあこがれる時は比較的、肉体的、心理的に健康な時であろう。センチになったり哀れみや寂しさを感じる時もある。このような時は疲れ切り、心に余裕がない時であろうか。毎日、毎日、書を読み、考え、「書く事」で頭をClearにして、明確な一日に「目標」を持って行動して、しっかりと生きたいものだ。 そいう時は「毅然」とした風貌になっているのだろう。写真から見る「西郷隆盛」は厳然と眼光を見開き、堂々としている。私にはある種の憧れがある。 時代は変わって醤油顔と言われる逆三角の顔が今は良いようだが(顔は余り関係ないか?)・・・・。身体が引締まり、明確な目標と共に、心の内は、素直・誠実・感謝を持ちながら、外観は「毅然と堂々」with Smile を持って淡々と日々生きたいと思う。

【愛と礼(尊敬)を持って接っする・・・】
Sat, September 14, 2024 9:02

【愛と礼(尊敬)を持って接する・・・】 不思議である。週末の金曜日以降になると、なぜか心が落ち着く。自然体になるのである。月曜日から金曜日の午後3時過ぎ迄は何か仕事感覚が抜けない。これが長年過ごしてきた「習慣」なのであろうか。 帰宅して2-3時間休むと「週末」の穏やかさと落ち着きが訪れて、「心の余裕」が出来てくる。起き上がりの20分は簡単な「瞑想」をすると、心が真っ白くなるのがわかる。ああ気持ちの切り替えが出来ているなと感じる。 瞑想が終わり、ふと【愛と礼(尊敬)】と言う言葉が頭に閃いたので、何となく書きたくなった。日本語の愛、漢語の恕の精神、西洋のlove・・・人間の優しさや思いやりを表す言葉である。人間は言葉で反応する。それ故に言葉は重要であり、注意深く、丁寧に選ばなくてはならない。 多くの書物を読んで来て感じるのは日英漢とも語彙を知り、それを何処迄使い切るかである。日本語では「安岡正篤」さんが一番であろうが・・・。昔日本史を中高で学んだ時、西川・・・という東大教授が書かれた文章に惚れ入った事がある。文章から愛が感じられ、言葉の一つ一つが正確で適切な事であった。最近の東大の教授には残念な事に「深さ」を見る事が少ない。 残念な事に英語での深さ迄はよく理解出来ないが、今迄読んだ中では、Ralph Waldo Emersonの語彙選びが素晴らしかったと記憶している。高校の時に短文で共鳴して、「The Major Prose」を読了する迄、ほぼ20年を要した記憶がある。一日約2ページしか進まなかった。前置きが長くなってしまった。 「愛」は人間も動物も、草や木や、風や水や、この自然界に存在する全てのものが持つものであろう。こちらから「愛」の気持ちを持って接すれば、全てが反応してくれる。全てが伝わるのである。ラーメンを作る時も、美味しくね!とささやきながら作ると美味しいし、床掃除する時、キチンやトイレ掃除する時に、私は「綺麗になってね」とささやいて掃除すると本当に綺麗になるのである。 自分自身の中に「愛」が存在すれば、それを人にも物にも「ささやく」だけで物事は「応対」する。これが不思議なのである。こういう静かで落ち着いた時間の時は「心に余裕」があるからか、これが出来る。愛の行動がもっと日常的に発揮できると嬉しいが・・・。 愛と言う事であれば、父や母に怒られたことはなかった。両親はたおやか、穏やかで愛のある人間性を持っていた。両親とはこういうものだと思っていたが、大学生になり、社会に出てみるとこれは「凄い」事であると後に、認識した。特に父からは「背中」から学んだ。余り多くは語らなかった人だが、人に接する時も「愛」が感じられた。又母は与える人であり、庭で色んな野菜を作っていたが、季節ごとの野菜や果物を近所の人々に与え続けた。 これは私にも無言で伝わり、【与える事】が当たり前で、ある種の趣味になった。与えた分、時差で必ず自分に返ってくるか、子供や孫に伝承して行くのだろう。恐らく私や子供達が此れ迄、上手く育ち。過ごせたのも両親や祖父母の「愛」のお陰だと思っている。 【愛は与えるもの】である。見返りを期待しないで、与え続ける事であろう。両親のお陰で、私も子供達を叱った事はなかった。(おそらく両親も私達も夫婦では葛藤があったかもしれないが・・・・。) 愛は与えるものであるが、日本的な礼(尊敬の表し方)も好きだ。相手を愛すると同時に尊敬する事を形として表すからである。これをもっと上手に表現して行きたい。素直で、謙虚で、感謝の気持ちを持ち続ける事で、いざとなった時は「礼」を尽くせるものとしたい。 日本の【礼】は相手に対する「尊敬の念」を示すからである。【尊敬】とは【愛】でもある。今後は愛の深さをもっと知り、礼(尊敬)は態度で示せるように生かされた一日一日を大切にしたいと思う。

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