【習慣・躾・感性】 人生は25歳―65歳迄は現実の競争社会の中で、如何に生きるかと言う事に精一杯で、その日、その日を生きるという事だけに最善を尽くしてきた。 そして一段落した頃から、又コロナ禍のお陰で、【考える】と言う事に「深み」が出てきた。深みとはこの意味では、「客観的」に見え始めたという事であろうか。 何か物事をなす時に、石の上にも三年と言われる。つまり基礎・基本を知れという事であろう。それを積み重ねていくと「習慣」と言う事に気づかされる。良き習慣をつけるとかなり「成果」は違ってくる。 特に早朝の勉強時間を作る【習慣】や「失敗」から反省して、出来るだけ二度の間違いをしないという習慣を早めに気づき、実行できた人が、物事に勝利・成功して行くように見える。 又メモをとり、空き時間、隙間時間に考えて、この先どうするかという「考える習慣」や、思った事を書いていく習慣、体操や歩きの習慣、また定期的に運動する習慣・・・・・時間と言う限られた中で、「習慣」によって、一つ一つを自分のものにして行く、身に付けて行くというのは愉しい。 近年は過去に自分自身では出来なかった事であるが、今なら自分はこうする、こうしたい・・・という思いが出てくる。又心に余裕が出てきて、物事を客観的に見えると言う事もあるのだろう。 こう言った良き「習慣」こそ、【躾】と言うに値するのかもしれない。小さな幼子に「躾を付ける」とよく言われるが、日本的には「習慣&躾」は一つの意味を兼ねているのかもしれない。こうしたいと思っていても出来ないのが、【習慣と躾】である。特に5Sと言われる「整理・整頓・清掃・清潔・躾」を意識して持つと、物事がスムーズに行く。それ故に、何かに取りかかる時は、無意識に5Sが考えられたり、実戦で出来たりしたら、本当に楽しい。 【習慣&躾】が出来て来ると【感性】を磨きたいという気になってくる。何かを作り上げるときはこの【感性】あるなしが大きな要素を持ってくる。これが子供の時から身についている人は素晴らしい。又自分自身に不足している時は出来るだけ身に付けようと「意識」する。この歳になって・・・と言う考えは禁句である。幾つになっても常に【感性】磨きはしたい。 現代社会では都市部に住むという事は必要な事であろうか。やはり良きものは都市部にある事が多い。特に美術館や演奏会、それ相当のものや流行も都市部でないとわからない。男性の紳士服等やネクタイして・・・は、もう限られた場所や、年齢層になってきて、日常的に着るものは、今まで以上にラフである。 こういった社会の変化を読み取る【感性】は都市部にいてこそ、窺がえる。良き【習慣・躾】は己自身の錬磨であり、【感性】磨きは都市の中での変化と、それなりの人物に会う事で、考えが変わって行くのだろう。 常に意識して、良き【習慣・躾・感性】は磨いていきたいと思う。
【清く・正しく・強く・美しく】③ 清さ・正しさが宇宙の法則の【強さ】の基礎とになっていると理解できる。勝利、成功するにはに「強さ」が必要になって来る。運動でもビジネスも同様であるが、「正しさ」があっての「強さ」でなくては長くは勝てないし、本物ではない。本物は「正しさ」という基本があるという事であろうか。 相撲なんかみていても、勝負は「がちんこ」と言われる中での勝ち方であり、正面突破でお互いが鎬を削る事にある。横跳びで勝ったり、奇襲で勝ったりしてはいけない。決して次につながらない。 我々が小さい時は相撲と野球がメインのスポーツであった。スポーツをTVで観戦したりして、見るスポーツの醍醐味を楽しんだ。当時初代若乃花が横綱の晩年に、身体の大きな選手が横綱に突進して向かって行った時に、彼はひらりと横に飛んで勝った。もう何十年前の事だが、この時、私はなぜか若乃花は「終わった!」と子供心に思ったのが、未だに脳裏に刻まれている。多分彼の優勝の最後だったように思う。 人生も勝負であるなら、どんな厳しい現実であっても、逃げてはいけない。常に相撲で言う「がちんこ」相撲で、正面から当たっていく事である。一時しのぎで勝利すれば、後で、そのつけは必ず見舞う事になる。 実際のビジネスでも毎日努力して製品やサービスを良いもとして作り上げるを努力して、「良いものを作り上げる」と日々努力していながら、目の前に努力なくして、チャンスがきたり、一攫千金ではないが、儲けたりする事がある。これは神様からの贈り物・ギフトと思えばいいが、自分の実力と思った瞬間に、破滅の道に転がっていく。 良く野球選手が20代で何億というお金を得ていたり、稼いだりすれば、選手生活が終了した時は、もうそのお金がなくなっていて、多くは衰退、倒産の憂き目にあうと聞く。 それ故に常に謙虚でありながら、自己のトータルな人生はガチンコ相撲の如く、常に「正しさ」を貫くという事を意識して、取り組む事で、「強さ」を磨かないといけないであろう。これが出来なくなった時が引退なり、Step Downするという意識を持っていたい。 ガチンコと言う事は正面突破であり、本当の実力で勝利して行くという事である。それ故、スポーツは当然、ルールの中で、強さを求めて行くように、ビジネスでも社会の基本的な「法則」と共にあり、その中で、お金儲けするべきであろう。スポーツやビジネスはエネルギーとの闘いであるから、かなりハードであるが、この「正さ」が出来なくなった時は、Retireすべきであって、邪で勝利しても意味がないという気持ちを持ち続けるべきだろう。 スポーツなら優勝と言う勝利は実力で、ビジネスなら、明朗会計の中できちんと数字をだして、儲けていく事だろう。清さ・正しさ・強さがあって、次の【美】に至る事になる。
【清く・正しく・強く・美しく】④ 人生のトータルは「美しく」であろう。バランスと強さが「美」を作り出していく。「The life is an Art」であろうと。これが今の心境です。 若い時は「Art/芸術」の意味が良く理解出来なかった。勉強する、学ぶ・・・という事が人生の全てと思っていたし、周りもそういうものだと言う「価値観」があった。 大学以降の学びと社会に出てからの学びと価値観。物つくりから、美味しいものを創り出す。M&A(当時そんな言葉はなかったが結果として)で繊維会社を買収してMacy’sにパンツを納入していた時に、優秀な従業員が綺麗なパンツ(日本風にはズボンであるが)を作り上げた時は流石に綺麗にできたなあーと一人で悦にいっていた。 良いものは常に適度な光沢と仕上がりが、バランスよく整っている。木地の肌触りが良い。幾ら洗っても色が落ちないし、光沢とふんわりしたしなやかさんがある。 又レストランを数軒経営していた時にラーメンのスープを作るのを教えて頂いた。色んな必要なものや骨をいれていく、そしてゆっくりとろ火からはじめ中火から強めに・・・そして上層部に出てくるあわを取り除き、又とろ火に戻る。チキンの鶏ガラとポーク(豚)の割合と昆布だし等でじっくり最低3時間を煮込むとスープが凄くclearになってくる。もうこの時のスープは口で言えないまろやかさがでている。そして味見の為に自店で作った麺と醤油味で食べてみる。これはまさに極上である。これを3年かけて「造りだした時」に【強さ】と【バランス】を理解した。醤油や味噌味と【スープ】が程よい位にバランスが取れているのである。3時間しっかりと「仕込む」と極上スープが出来上がる。 不動産でビルの売買する時は、駅に近いがまず一番。そして日頃からきちんと管理されているかどうか、一階に店舗がはいっているか、2階から5階のテナントの「Ftee Market」が幾つあるか。テナントが出たあとは改装して家賃が高く取れるか・・・・などの基本のバロメーターがあります。良い買い物は無駄なくスムーズに買えます。此処のポイントは90%の人が失敗するのは「安く買う」です。 買う時のコツはお互いが【Win-Win】である事。幾分高めで相手がHappyであるように買う事です。私は大体市場の118%で買うように心がけていました。最初は「安く買う」事だったのですが、結局は「安物買いの銭失い」になり、かなり手入れをしなくてはならず、改装費が馬鹿にならず、それを手放す事になります。お客様にお薦めする時も同じように買い方で説明します。ビル買いの経験と余裕のある方は理解されて、結局は数十年後には5倍や、10倍になって儲けられました。(最近では、20数年前に約60万ドルでお買いなりに、最後は約6億でお売りになったビルもありました。) 私の父はアメリカで事業するなら「衣・食・住」をやれと言っていました。其の時は気が付かなかったのですが、結局はその通りになりました。今から考えると、彼は世界中のあらゆる書物から物事の本質・真理を理解して、【宇宙の法則】を見出していたのでしょう。そしてそれを私に教えたのでしょう。 物事の「法則」は世界の何処で同じです。今は世界が小さく、狭くなり、衛星で全部見れる時代でありますから、隠ぺいは無理ですね。それよりも【理論と実践】で「書物」(知識)と「体験」を通して物事の真理や本質を理解して行くのが一番でしょう。 「美」に関しては奥が深いので、今後何度も取り上げます。
【清く・正しく・強く・美しく】② 清さと共に、「正しさ」は必要である。正しさとは何かと問われれば、「宇宙の法則」/the law of Universeではないだろうか。これは社会や国家ではなく、神様みたいなもので、これが規律となって、物事の判断、基準が出来ているように思う。 人間には不思議なセンサーがある。これって間違っているの?正しいの?という意識と判断は論理よりもある種の「直感」である。この正しさはおそらく日頃から「清さ」を持っていると、何が「正しいか」と言う事がわかるような気がする。全てが清いというわけはないが、出来るだけ、清さ、クリーンでいれば、一つの事の判断基準として「正しさ」が出て来る。 上司や先輩が・・・・という悪しき社会の慣習ではなく、[【真実・本質]】は何かという問いに忠実であるべきだろう。それ故に、常にこれの本質、本物は何かと問いたい。時には条件付と言う事もある。或いは期限付きで・・・。しかし求めるものは、宇宙の法則に従って、「正しい」かどうかであろう。 これが実践躬行できるという事は、自由主義社会に生きる我々はラッキーというか、職業の選択のチョイスがある。これは大きい。私は中学の時から、将来は自分で会社を作りTopとなるという考えを持っていた。お陰で、上司はいなかった。それで基準としたのは「宇宙の法則」であったし、中国・西洋の書物からの学びであった。これらの双方を学び始めると、物事の中心、真理や本質がみえてくる。コアである60%はどちらから見ても「正しさ」は同じであると・・・。日本での中高生の時は、中国の有名な書物に、そして大学以降は西洋の書物、アメリカに来ては「聖書/バイブル」の学びをやった。 結局は「宇宙の法則」が自然と理解することが出来るようになってきた。それ故に、今が一番人生の中では面白い。物事に大体の「法則」があるとわかってきた。全てに言えるのである。不思議だし、面白い。ある意味、「正しさ」とは「宇宙の法則」ではないだろうかと思う。
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