【医者と薬は信用するな!‼】 今日はかなり激烈なテーマである。ここまで言い切って良いものか?どうかと思うが・・・・。自分自身のみならず、知り合いの方から聞いた話も含めて、最近のアメリカの医療システムや薬局の在り方には疑問が残る。 大手の病院に働くお医者さんは、患者さんに対してのノルマがあるのだろうし、その患者さんの具合が良くなければ、もっと薬を飲ます事になる。 私は従来のお医者さんに対する「尊敬の念」は薄れてきている。患者さんでなくて、もうFood Chainに来る顧客に過ぎない。ある時食事の後に血糖値を測ってもらったら、凄い「数値」が出た。当時は糖尿と言う事に全然知識がなかったのでお医者さんを信じるしかなかった。 糖尿の系がありますと言われ、約3年、3-4か月ごとに検診してもらっていた。 血糖値を測定する機器も買ってきて、自分で「記録」を作成するようにした。毎日2回するのである。不思議な事に気が付いた。空腹の時に測るのと、食事の後1-2時間後に測るのは違うのである。 そればかりでなく、夜に2-3回トイレに行くので・・・と言うと又薬が増えるのである。私はルーチンが比較的に好きな性格なので、指示通りに飲んでいたが、ある時、便が出ない事が起きた。もの凄く頑張らないと出ない!。ふんばってもう頭の血栓が切れそうになった。それで便秘薬を買いに薬局(CVS)に行って薬剤師さんと話をしていたら、アメリカ人は医者から多くの薬を飲まされて、同じような状態ですとインドから来た薬剤師さんは言った。 半信半疑であったが、薬剤師さんが勧める薬を飲んだ後、なんとか便を出してすっきりして考えた。薬剤師さんがふと漏らした事に何となくピーンときた。英語でのMake senseなのである。それで「納得」した。 幾分怖かったが、翌日から与えられていた薬を止めた。もう3週間になるが、測定値は薬を飲んだ時とほぼ同じなのである。あれ!これは?そして便は気持ちよく毎日ちゃんと出るのである。飲んでいた薬を止めてから、ひとさし指が痛かったのが消えた。恐らく4-5の薬を飲み過ぎて、副作用が出てきていたのだろう。勿論全てを否定するわけではないが、人間には「自然治癒」という素晴らしい快復力があるのである。 又沢山の炭水化物を食べない限り、糖尿系は治るだろう。日本人はラーメンやうどんの食べ過ぎで、こういうことが起こるのではないかと思っている。 尊敬すべきお医者さんや、又その時の病状にあった薬も多いが、ある程度期間が過ぎたら薬用ではなく、ちょっと考えて、この薬は今の自分にあっているかどうか自分で判断するのもいいだろう。身体は自分自身が一番よく知っている。「本能」や自分自身の「直感「を信じる事である。お医者さん、MRI、薬はあく迄、補完作用とみて、判断して行くのが一番であり、お医者さんや薬を過大評価しない事で、自己の健康保持をする事に心がけようと思う。
【日本から同年代の親戚筋がお孫さんと一緒にNYに・・・・】 今日日本から親戚筋がお孫さんの夏休みを利用してNYにやってきた。もう何年ぶりになるだろうか。20数年年前にお会いしてから・・・・。 お互いにかなり老け込んでいたかもしれないが、本体はあまり変わっていない。会った瞬間、「余りお変わりしないですね」と同時に言って、笑ってしまった。 10分もすれば、もう打ち解けあう。気楽なのである。お互いを良く知っているし、人生の節々で、家族の様にお互いが思いやったり、兄弟みたいなものである。人間の【情】と言うものは言葉で表せないものであると・・・。 現役を半分退いての様々な話や、お孫さんの話等を聞いていると、なんとなく暖かいものを感じる。これも又人生のよすがとする一面であろう。時にはこういう時間も良い。 お孫さんの為にNY観光や、ロックフェラー家の見学、自由の女神・・・お孫さんに取っての一番はNYヤンキースを見に行く事だそうだ。夏休みに、おじいさん、おばあさんとアメリカ、NYに行ってきたよと日記や宿題に書けるのもいいねと言ったら、面倒なんだよねと・・・。子供さんやお孫さんは、時代を問わず同じだなあーと思って笑みがこぼれてしまう。 ホテルに泊まったり、我が家に泊まったりして、1週間足らずであるが、日頃の緊張を和らげてくれる。夏の花火や、行事、観光もそれなりに気持ちが和らぐ・・・・。 勉強や仕事も良いが、こういうひと時も「それなりに・・・」楽しむも事も、人生の晩年には良いなあーと感じた次第であった。
【静かに穏やかに老ゆるのも良いもの・・・・】 最近は穏やかになってきたねとよく言われる。逆に若い時はそんなにとんがっていた?と聞き返したくなる。ブログにこんな書き出して始める事になるとは考えてもみなかった。 老いは、若い時にはしょぼいものだなあーと言う感覚であり、又若い人からみると実際にそうであろう。現役の時は誰でも老いていくのにと・・・考えてもみなかった。父も元気で、老いを感じる事なく、病院に入院して3日で亡くなってしまったので、尚更であった。サッカー選手などで、50歳近くまで現役をやっている人もいるが、出来る事なら、自然とセミリタイアして・・・ゆっくりとリタイアして行くのが理想だろう。 コロナ以降、仕事自体は3日半で、月曜、火曜日、水曜&木曜日は半日の感じである。金曜日になると嬉しくなる。昔の、土曜日か日曜日の感覚である。「気持ち」の持ち方で心に「余裕」が出て来るのだろう。 そうなると現役のようなギラギラ感は薄くなり、穏やかな表情になっていくし、余程の事がない限り、いいよ!というスタイルになる。この馬齢と共に、穏やかになってきている自分が好きだ。「淡々と・・・」なのである。 穏やかになると「落ち着き」が出てきて、それなりに居るだけで「存在感」が出てくるようだ。議論好きや話好きはあい変わらないが、前よりも人の話が「聞ける」ようになって嬉しい。アメリカでユダヤ人から教えられたやり方を30数年以上もやってきたので、なかなか直せない。彼らのお陰で、NYで生き残れたので、何とも言い難いが・・・。 穏やか、優しさ、相手の立場で・・・そんな言葉に惹かれる自分がいる。現役を一歩も二歩も下がってくると、この「たおやかさ」が何とも言えない。 最近は「中立」と言う言葉にも惹かれる。A or B, Yes or Noではない、日本的なグレイゾーンスタイルが良いのである。最近はビジネス英語より、ファンジーな日本語に楽しさを感じる。いいかげんさ、あやふやさがいいか・・。ゆったり感が良いのである。 年齢と共に、感性も変わって行く。これがまた黄昏の良さかもしれないと思う、この頃である。
【品と心の余裕・・・・】 米国の昔からの慣習の中で、英米系の方が時々みせる、「お先に・・・、After you・・・」この気持ちを持てる時は心に【余裕】がある時であり、これが全てに「尊敬」「尊重」に繋がって行く。どれだけ「謙虚」に生きれるかである。相手に対する「思いやり・・・」という日本的な思考も好きだが・・・。 度々エレベーターの中で、出る時に手を差し出して「After you ・・・」と言われると、こちらまで何となく気持ちが良いものである。私もいかにもおじいさん、おばあさんとみられる方と一緒のエレベーターの時は、言うように心がけている。Old社会(Old School)の日本育ちなので、なかなかスムーズに手が出ない。気持ちはあるのだが・・・・。 学生の頃に、50,60代のアメリカ人「紳士」がこれをやって見せてくれた時には、形だけであるが、英米は精神的な余裕があるものだなあーとつくづく思ったものだ。目に見えないもので表されると「品」を感じさせてくれる。品は経済的に、又心に余裕のある時に生まれるのかもしれない。 経済的や時間に余裕がない時は心に思っていてもなかなか難しい。やはり「心の中」で「余裕」がないといけないのだろう。常に静かで、穏やか、控えめといった心の「余裕」を持っていたいものである。 落ち着きが「品」を高めていく。言葉でも服装でも・・・自分らしく、「品」を持っていたい。競争社会での戦闘から、今度は静かで落ち着いた自分に変えて行きたいと思う。 戦闘している時にこれを持つのは難しい。しかし一端Step Downしてみると、今度は「品」に惹かれる。粗削りから、普通になって、もっと磨いて綺麗(Fine)になって行く・・・まさに「物造り・人間造り」であり【芸術】である。 「人生は芸術」と言われる由縁であろう。今、人生・人間の最後の磨きの所に入ってきた。年齢、権威や経済力ではなく、【品性】で人生を終えたいという気持ちが強くなってきた。今までの闘争社会での私とは違ったものであり、穏やかで落ち着きのある、【品性のあるジェントルマン】でありたいという気持ちが芽生えてきた。環境や、状況によって、人は変わる。良い意味での変化は嬉しく思う。
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