【日本から同年代の親戚筋がお孫さんと一緒にNYに・・・・】 今日日本から親戚筋がお孫さんの夏休みを利用してNYにやってきた。もう何年ぶりになるだろうか。20数年年前にお会いしてから・・・・。 お互いにかなり老け込んでいたかもしれないが、本体はあまり変わっていない。会った瞬間、「余りお変わりしないですね」と同時に言って、笑ってしまった。 10分もすれば、もう打ち解けあう。気楽なのである。お互いを良く知っているし、人生の節々で、家族の様にお互いが思いやったり、兄弟みたいなものである。人間の【情】と言うものは言葉で表せないものであると・・・。 現役を半分退いての様々な話や、お孫さんの話等を聞いていると、なんとなく暖かいものを感じる。これも又人生のよすがとする一面であろう。時にはこういう時間も良い。 お孫さんの為にNY観光や、ロックフェラー家の見学、自由の女神・・・お孫さんに取っての一番はNYヤンキースを見に行く事だそうだ。夏休みに、おじいさん、おばあさんとアメリカ、NYに行ってきたよと日記や宿題に書けるのもいいねと言ったら、面倒なんだよねと・・・。子供さんやお孫さんは、時代を問わず同じだなあーと思って笑みがこぼれてしまう。 ホテルに泊まったり、我が家に泊まったりして、1週間足らずであるが、日頃の緊張を和らげてくれる。夏の花火や、行事、観光もそれなりに気持ちが和らぐ・・・・。 勉強や仕事も良いが、こういうひと時も「それなりに・・・」楽しむも事も、人生の晩年には良いなあーと感じた次第であった。
【静かに穏やかに老ゆるのも良いもの・・・・】 最近は穏やかになってきたねとよく言われる。逆に若い時はそんなにとんがっていた?と聞き返したくなる。ブログにこんな書き出して始める事になるとは考えてもみなかった。 老いは、若い時にはしょぼいものだなあーと言う感覚であり、又若い人からみると実際にそうであろう。現役の時は誰でも老いていくのにと・・・考えてもみなかった。父も元気で、老いを感じる事なく、病院に入院して3日で亡くなってしまったので、尚更であった。サッカー選手などで、50歳近くまで現役をやっている人もいるが、出来る事なら、自然とセミリタイアして・・・ゆっくりとリタイアして行くのが理想だろう。 コロナ以降、仕事自体は3日半で、月曜、火曜日、水曜&木曜日は半日の感じである。金曜日になると嬉しくなる。昔の、土曜日か日曜日の感覚である。「気持ち」の持ち方で心に「余裕」が出て来るのだろう。 そうなると現役のようなギラギラ感は薄くなり、穏やかな表情になっていくし、余程の事がない限り、いいよ!というスタイルになる。この馬齢と共に、穏やかになってきている自分が好きだ。「淡々と・・・」なのである。 穏やかになると「落ち着き」が出てきて、それなりに居るだけで「存在感」が出てくるようだ。議論好きや話好きはあい変わらないが、前よりも人の話が「聞ける」ようになって嬉しい。アメリカでユダヤ人から教えられたやり方を30数年以上もやってきたので、なかなか直せない。彼らのお陰で、NYで生き残れたので、何とも言い難いが・・・。 穏やか、優しさ、相手の立場で・・・そんな言葉に惹かれる自分がいる。現役を一歩も二歩も下がってくると、この「たおやかさ」が何とも言えない。 最近は「中立」と言う言葉にも惹かれる。A or B, Yes or Noではない、日本的なグレイゾーンスタイルが良いのである。最近はビジネス英語より、ファンジーな日本語に楽しさを感じる。いいかげんさ、あやふやさがいいか・・。ゆったり感が良いのである。 年齢と共に、感性も変わって行く。これがまた黄昏の良さかもしれないと思う、この頃である。
【品と心の余裕・・・・】 米国の昔からの慣習の中で、英米系の方が時々みせる、「お先に・・・、After you・・・」この気持ちを持てる時は心に【余裕】がある時であり、これが全てに「尊敬」「尊重」に繋がって行く。どれだけ「謙虚」に生きれるかである。相手に対する「思いやり・・・」という日本的な思考も好きだが・・・。 度々エレベーターの中で、出る時に手を差し出して「After you ・・・」と言われると、こちらまで何となく気持ちが良いものである。私もいかにもおじいさん、おばあさんとみられる方と一緒のエレベーターの時は、言うように心がけている。Old社会(Old School)の日本育ちなので、なかなかスムーズに手が出ない。気持ちはあるのだが・・・・。 学生の頃に、50,60代のアメリカ人「紳士」がこれをやって見せてくれた時には、形だけであるが、英米は精神的な余裕があるものだなあーとつくづく思ったものだ。目に見えないもので表されると「品」を感じさせてくれる。品は経済的に、又心に余裕のある時に生まれるのかもしれない。 経済的や時間に余裕がない時は心に思っていてもなかなか難しい。やはり「心の中」で「余裕」がないといけないのだろう。常に静かで、穏やか、控えめといった心の「余裕」を持っていたいものである。 落ち着きが「品」を高めていく。言葉でも服装でも・・・自分らしく、「品」を持っていたい。競争社会での戦闘から、今度は静かで落ち着いた自分に変えて行きたいと思う。 戦闘している時にこれを持つのは難しい。しかし一端Step Downしてみると、今度は「品」に惹かれる。粗削りから、普通になって、もっと磨いて綺麗(Fine)になって行く・・・まさに「物造り・人間造り」であり【芸術】である。 「人生は芸術」と言われる由縁であろう。今、人生・人間の最後の磨きの所に入ってきた。年齢、権威や経済力ではなく、【品性】で人生を終えたいという気持ちが強くなってきた。今までの闘争社会での私とは違ったものであり、穏やかで落ち着きのある、【品性のあるジェントルマン】でありたいという気持ちが芽生えてきた。環境や、状況によって、人は変わる。良い意味での変化は嬉しく思う。
【アメリカ社会のサービスの変容】 最近、久しぶりに体調が今一つ芳しくなく、近くの「City MD」に行った。久々に医療関係に行き、びっくりさせられた事があった。ここ5-6年そのような機関にお世話になっていない。それ故に医療機関は雑な「サービス」だと頭から決めつけていた所があった。 かっては白人の女性の方の受付や、サービスをやっていた分野は今はきちんと公的な機関で教育された黒人の方や、南米系の方がやっていた。 かってのぶっきらな態度ではなく、患者目線であり、ソフトなサービスでかなり親切にやっている。こちらが期待した以上のサービスなのである。勿論郊外とCityの中では患者さんの数も異なるから仕方がないかも・・・・。 右足が動かず、歩くのにも痛くて10メートルも歩けず、腰を屈めて漸くクリニックに着いたからかもしれないが・・・。検診した後にPrimary Doctorを探せという。それで頼んだら、20分位かけて5人のお医者をWestchesterから選んでくれてPrint Outしてくれ、アポまでやってくれた。周りには多くのクリニックや病院があり、「競争社会」であるからか、サービスが一段と良くなっていたので、驚かされた。 又もう一つは「Bank」のサービスもかなり違ってきた。今は何でも機械で処理したりして人的なサービスが減ってきているが、それでも「What can I do for you?」ときちんと聞いてくる。或いは場所によっては特定のサービスの方がいたりする。今迄の様にこちらが聞いても嫌な顔をしながら、この分野は私の仕事ではないといった言い方や態度はかなる薄れてきている。「競争社会」や「Credit」の社会はサービスの向上になるなあーと改めて感じる。 時代の要請なのだろう。もう上からの目線ではビジネスは出来ない。常にソフトで公平でなくてはいけない。そういう意味では社会主義や共産主義とは異なる。問題は移民の方は母国の遅れた上からの目線で仕事をしている時である。人種ではなく、きちんとしたアメリカ社会で公的な教育を受けてきた人の時代になってきた。 黒人の方や、南米系の方の35歳位以下の方々は立派に教育を受けている。アメリカも見捨てたものではないなと改めて思う。こういう【社会の変容】を見る時に「教育」こそ社会を変えて行くと強く認識する。 私達の価値観や感性とは異なるものである。今を生きる!には既に遅いかもしれない。こういう変化についていけなくなると社会で存在することは出来ないだろう。変える必要がないもの、真理や本質は変えなくても良いが、時代の変化や変容には注意しながら適応して行かなくてはいけない。それには常に「謙虚」さと「公平」ということを心掛けなくてはいけないだろう。男女ではなく、年齢でなく、Flatで「個人」をRespectする気持ちを持ち続ける事ではないだろうかと思う。
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