【Vision/考える/計画/準備/discipline/habits】 人生は「晩年」が面白い。特に「宇宙の法則」を理解するようになってから、物事がかなり先まで見えてくる、読み取れるのである。解析力や洞察力が【深く】なってきて、碁やチェスの様に綺麗にくっきりと見えるのである。歴史や科学や知識を「学び」ながら、経験・体験で裏打ちされて、段々と【法則】を理解出来る様になる。 恐らく多くの「失敗」のお陰であろうか。失敗をして反省して「考える」・「書く」事で、次へのエネルギーが活力として湧き上がって来る。もし今20代であれば、もっとうまくやれると思いながら・・・・。人生は一度である。マイナスにならない「失敗」は若い時は苦にならない。甘んじて受け入れてきた様に思う。 馬齢を重ねると、「エネルギー」がなかなかわかないのが辛い。もう少し諦めないでやりきれば・・・という想いがあるが、エネルギーが十分でないと人に、仲間に迷惑をかけるのではないかと言う「不安」があるので、なかなか一歩先に進めれないのが辛い。物が良く見えるにも拘わらず。 やはり「人生」は「実践者」でなくてはつまらない。評論家・批評家ではいけない。「Vision」を持ち、Goalがきっかりと見える迄、徹底的に「考える」事を愉しめるようになると、ビジネスもスポーツと同様な感じ方になる。ビジネスもスポーツも、何でもTopを目指して頑張るのは楽しい。一つのゲームであるからだ。 【人生】は色んな捉え方がある。家族を持っての25-65歳迄の40年間は「’勝負」である。それ以降の65歳ー85歳迄は又違った様相になって来る。これはこれで別の生き方で面白いが・・・・やはり25-65歳迄はもっとしっかりと生きたかった・・・・という気がする。誰でも同じように思うだろうが・・・・・。 65歳以上になってくると物事がクールに見えてくる。「考える」事に【深さ】が出てきて先人の「哲学」を言葉でなく「実感」として理解できるようになる。特に、日々の中に実践を通して「毎日」やるという【Discipline】の大切さ、これをきっちりと出来れば、目的と言う方向性が間違っていなければ、これが自分の型になり「強さ」になる。このDisciplineはHabitsいう【習慣】のシステムと関連している。「毎日やる!」30分、1時間だけで良い。「諦めない」この言葉通りにやれれば、目的は達成できる。 子供の時に、出来るなら6歳位に両親が支えて、ヘルプしてくれて、休まず、「考える」「行動する」事を訓練をして、色んな大変な道を乗り越えたら次に進めると言う事が必要だろう。子供を育ててみて、初期の頃の「公文」は本当に役に経った。特にHabits/習慣化は素晴らしい。スポーツの勝利者、ビジネスの成功者は明確な【Vision/Discipline/Habits】を身に付けたものであろう。この世に「天才」はいない。皆見えない所で、この3点を毎日、毎時間、徹底にやり過ごしているのである。これさえ出来れば、人生は必ずほぼGoalにたどり着く事が出来るだろう。 Visionの「高さ」であり、思考の「深さ」であり、Disciplieの「強さ」であり、Habitsの継続と言う「長さ」であろうか。そして長そうに見えて、驚くほど短い人生の道をひたすら走る心の「広さ」であり、「厚み」であろう。人生は遅くない、【今】から始めれば良いのである。小さな目標を明確にして、今日、明日、明後日・・・・・と「積み重ねる」だけである。天国に召される迄の「行」でもある。「学び」程、心の充足を満たしてくれるものはない。何かををしようと思ったら、【今】から始めようではないか。
【中国・韓国の方々は、勇気を持って、NYで「日本スーパー・レストラン」経営にチャレンジー大成功】 最近の中国や韓国の移民の方々の活力には驚かされる。5番街の34,5丁目に堂々と「日本スーパー」「日本レストラン」を出店する。日本人が果たして中国スーパーや中国レストランをやろうとするか・・??? 中国の方はチャンスと思えば、じゃんじゃんチャンスを掴みこんでくる。日本ブームは幾分落ち好き、下火になっているが、もうNYでは「市民権」を得ている。食べて「美味しい」「安心」というものが確立している。 私ははがゆくてたまらない。日本スーパーや日本レストランがなぜ中国や韓国の人の経営に任せているのかと・・・。いつも書いているようにNYには【金山】が捨ててあるのである。やるという!最初の1歩を踏み出せない「日本人」。何度も書くが、「Omakase!」という言葉で中国の方がマジソン街の真ん中で、日本レストランをやって流行っているのである。 今日驚いたのが、既に34,35丁、5番街に「京都から・・・」という見出しで、堂々と出しているスーパーの2店目と3店目を通った。レジのお姉さんに聞くとオーナーは日本に留学?した「中国人」という。店も従来の小汚い中国経営ではなく、明るく清潔感に溢れて、アメリカ人が入りやすい店内になっている。見た瞬間「やられたなー!」と思ったら口惜しさとあっぱれ!の双方の言葉が次第に出てきた。日本人には到底できない・・・・・。本当に悔しい!!!。 日本人が数十年に渡って、NYの市場を開拓してきたのに・・・寿司、ラーメンの信頼を得るまで30年、40年という歳月をかけてきたものが、他国の人に「日本ブランド」を利用されるのは・・・・50年前にヤング・ジャップと呼ばれながらNY開発にエネルギーを賭けた事を思うと残念極まりない。 なぜ日本から若い男女がNYにチャレンジしないのかわからない???こんなに無限大の金山が埋まっているマンハッタン・NYなのに・・・・。余りもも悔しくてペンが折れてしまった・・・・・。悔しいの一言です。 このブログを読んだ方は誰でも若い日本人男女に伝えて下さい。(Sakai不動産)917-679-7515/sakai@sakaifudosan.com
【人生】・【国家・企業・個人は「信頼」である。】 米国から世界を俯瞰していると、様々な民族や国家の在り方が良く見える。今まで西洋の「モラル」があり、それを模範として、世界中が追随してきた。 正しさや重厚感、気品はまだまだ必要である。最近は「人間」の存在や「文化」おいても「ソフト」化して来た。特に人間の精神性は今後益々重要性を持ち、特に品格ある「人間性」が重視されるだろう。 物を造る時、又それを使用する時、「安全性」「保持力」等、本物が問われる事になる。日本では当たり前であった事が、今の世界ではこれらがかなり軽視されているのには驚かされたりする。 中国や韓国やその他のG7以外で作られたものは、安い、壊れる…偽物・・・と言われるものが多い。なぜかわからない?最低10年、20年持つものが、3-4年で壊れたりする。こんないい加減なものを作って、消費者に「信頼」されると思うのか?よくわからない??? ファッション等は数年で変わる?ので目先にものを簡単?に作ればいいという発想であろうか。やはり「正しく」きちんとした「製品」を作ろうと言う「意志」がないといけないのではないだろうか。 最近日本のフードを真似た偽物食品が出回って、スーパーで除去されたという話を聞くと、信じられないと思う。そんな毒入りに近いものが米国で売られているの?と思う。即席のカップラーメンも日本スーパーで99セント、アメリカのスーパーでも1ドル50セントで売られているが、味が薄くヌードルがとぎれとぎれのものが49セントで売られていて、大丈夫かな?と思っていたが、まだ売られていたりすると食べた人の健康が気になる。韓国の大手の辛口カップヌードルを売り出して「癌」になると政府から言われてスーパーの棚から除去された事もある。 最近男性はブレザーを着る場所がなくなってきたが、ある会合に最近は寒いので昔のものを取り出して着て行ったら、良い生地のものだねと直ぐに言われた。コロナ前はこんなスーツ姿も当たり前であったが・・・・。 製品でも人間でも重厚なものは疎んじられて来ている気がするが・・・・。やはり人間は「重厚感」があるのは接していても見ていても気持ちがいい。整然としているのである。 軽さ、安さではなく「正しさ」が当たり前である事を願う。製品をみて、これはいいなあーと思うもの、又人間の第一印象が「誠実」「信頼」に足りるものでありたいと思うのは私だけであろうか? 日々の生活の中で、きちんと整然と生きて、「人間力」が「信頼」に足り得るものでありたいと思う。
【無くなったと気落ちしていた50年来の手帳が返って来たー凄くHappyである!‼】 久し振りに心からの嬉しさが充満している。一週間前に50年来一度もなくした事がないポケット手帳がBagに中にないのである。もう先週は何も手に付かず、呆然としていた。 ものぐさで、他に書いておけばいいものをこういう形で無くすとは・・・?多分ボケが始まっているのだろう。思い出せないのである。可能性のある所は皆探してみたが見つからない。 皆携帯を忘れたと良く聞くが、これは今は財布と同様に価値があるので、財布と携帯だけはいつも同じポケットの所において常に確認しているが、この黒皮の手帳は3番目に重要なもので、必ず鞄にいれているが、最近時々忘れがちになる。それで大きなカバンに入れるようにしている。兎に角、慌てない事である。出来るだけ前日に洋服やズボンと同じく子供の時みたいにBed近くに置いておくが・・・・。 馬齢を重ねると「速さ」よりも「確実」「落ち着き」と「余裕」が大切である。時間に追われているとつい慌ててしまうのはなかなか治らないのが今の悩みである。 そうして気持ちが晴れないまま日曜日なので、私の書斎????のBarns & Nobleに行く。最初店員で黒人系の人に聞くが冷たくあしらわれて、カウンターに聞いてみなと指さす。だめだろうと思いながら白人の気のよさそうなお姉さんに聞くと、笑みを浮かべて「これですか?」と差し出してきた。期待ゼロであったので、この瞬間的な喜びは、近来にない位の驚きとHappyが溢れてきた。期待しないものがBig Supriseで現れたのである。何度も何度もお礼を言い、いつもの指定席につくが落ち着かない。 暫くしてなにか返礼しなくてはと思い、最近オープンしたスーパーが近くに出来たので、フルーツを6種位買う。幾らもならないが、買って渡そうとしたら、担当の方は今日はもう帰宅したと・・・・。しょうがないのでマネジャーらしき人に説明して渡した。まだまだ白人系の育ちの良い人は、こうした所作は失われていないと改めて見直した。 人にも寄るであろうが、育ちのよさそうな白人の方々は「信頼」がある。この「信頼」こそが「文化」であろうか。最近移民が多くて、嫌な事が多いが、郊外のこういう所に勤める人はまだまだ良いものをもってると改めて感じた次第である。 今日はあまりにもHappyだったので、帰宅して直ぐに書いてみたかった。ボケ防止は「心の余裕」と「準備」が大切であると改めて思った。
※ 物件によっては、既にレントされていたり、オファーが入っていたり、或いは売れている場合もありますので、ご了承ください。



