【歴史と文化・・・】 もう数十年前になるが、「人生とは・・・?」を探求している時に、日本的な「道」と言う言葉に惹かれた。これは今から思うと真髄であり、真理だと思うが、西洋的とは異なるかもしれないし、又中国的(東洋的}ではなく、正に異文化と言われる「日本」独自な文化であろうと思う。 速くではなく、ゆっくりと正しく、安心、長持ちするという意味であろうか。又時々、「物造り文化」の極めと言う意味の「道」であるかもしれない。近年では「安全性」という価値観が文化の一面を指している事もある。良い例が「TOYOTA」であろう。20数年位前にレキサスを買ってから、ずっと乗っていた事がある。もう壊れない。凄い安定感があり、流石・・・と思い、最近、ベンツとレクサスを乗り比べて、安全性と長持ちで、結局はレクサスを選んだ。 あるYouTubeを見ていて、中国の文化で奈良時代に建てられた東大寺は当時は中国文化の学びから日本流に工夫して建てられたという話を見ていたら、中国には現在、当時の建物は残っておらず、中国の方が日本にきて、当時の文化を鑑みて、本場の中国には文化遺産が残らず、日本に残されていて、残念な様であった。 日本は良きものを残してきた。もっともアメリカが第2次世界大戦で、日本の奈良・京都の文化遺産を残してくれた事も大きい。これこそ、英米の知的な見解があったからであろう。今でいう知的在財産権ではないが、その当時は知性的な考えを優遇するという雰囲気が残っていたのだろう。「歴史」を深く考える「学者」を敬っていたのだろうと思う。そういう知的財産をしっかり理解し、良きものを残せる英米の「知性」は尊敬に値する。その観点では、長い歴史を持つ中国にはない。私は「深さ」があり、知的性的な英米主導の「価値観」は好きである。勿論、明までの中華(中国ではなく)は好きであるが・・。 破壊された歴史は二度と戻ってこない。物事が似ている事は何度もあるが、同じものはない。それ故に捨てる・残すの判断は重要であろう。現実的には「捨てる」技術は正しいのであろうが、文化的には残す事によって、物事の真髄やその時の文化を窺い知る事になるので、ある意味、伝統的な技術は残しておきたいものである。 まさに伝統的な宮大工こそ今後も永遠に残して欲しいし、日本の天皇制のシステムも残して欲しい。江戸時代から明治に掛けての廃仏毀釈のような事や中国の文化革命の様な事がないようにしてほしい。時代が進歩して行くには、伝統(保守)と革新が必要であるが、保守は20-30%残しながら残りは革新・進歩であって欲しい。(最近の日本はチャレンジ精神が薄くなりつつあるが・・) このあたりのバランスこそ【文化】であり、芸術であろう。人間の歴史は「伝統と革新」が上手におりあいをなしながらやってきた。人間には幾つもの世代がある。最近思う事の中で、紙社会の良さもあるので、全て電子・電動の世界でなくてもいいのではないかとも思う。 又全てが「Card」社会でなくて、「現金」も使える社会であって欲しい。便利さも重要ではあるが、今の社会にはそぐわない、不便さもある意味必要であろう。不便さは「忍耐」を築きあげるには大切である。 そういう意味でも「文化とは何か・・?」をいつも考え続けていたい。
【道徳とビジネスー全てに法則がある】 最近、道徳・正しさ・ビジネスの中に「法則」が存在すると思うようになってきた。かって日本の資本主義を作った男と言われ、一時代を作り上げた「渋沢栄一」を思い出した。彼は江戸末期にフランスに徳川家の人とパリ?博覧会みたいなものに参加して、西洋を漫遊して帰国した。 そして日本の会計学の祖とまで言われている人物だが、高校生の時に「論語と算盤」という彼の書を読んだ時に、成程良い事を言っているなとさらりと読み過ぎたが、アメリカや日本でビジネスの不祥事が起こり始めた30数年前に、ビジネスには規範となるものがないといけないとつづく思った。 当時はバイブルの研究をしていたので、アメリカ社会も段々と廃れてきたものだと・・・と思った。ビジネスは正しくルールに載っとって利益をあげなくては・・と当時は叫ばれた。 私もなんとなくそれが当たり前だよなと内心で思っていた。理想?と現実は違うよなと・・・。しかし人生を振り返ってみると、【宇宙の法則】という「正しさ」に従ってやってきた人は、ビジネスがちゃんとやれている。ごまかしながら一時期的に儲けても20年、30年すれば、皆泡の如く消え去り、殆どの方が生き残っていない。 正に渋沢栄一ではないが、きちんと道徳心をもって、正しくビジネスをやってきた人は、それなりに成功している。本当に面白い。ですから、自分自身も含めて、若い人には、道徳と迄は言わないが、宇宙の神様が見ているから、物事の法則に従い、規律とルールを守りながら、ビジネスをやって行こうと言っている。 資本主義社会は競争を煽り、物事を発展させていくには良いが、この競争社会に皆が皆適応できているかどうであろう。恐らく80/20の法則で、20%の人によって社会は動き、発展してきていると思うが、この20%に入る人は、道徳的な規範をもって、社会の為に尽くして欲しい。又ビジネス社会で生きるには、この20%の中に入れるように努力したい。 今後、資本主義/民主主義も形が変わって行くだろうが、宇宙の法則である、神様がこのまれる、規律や道徳と言われるものに従って、自由な発想で、皆が幸福になるビジネスモデルを追及して行きたい。 生きるには、【人間として何が正しいか?】と常に問いながら、切磋琢磨し、ビジネスを行使して行く。【全てに法則】がある。其れをみきわめる事が、人生の「求道」であろう。物事の法則・真理を追究しながら、日々の努力で、法則通りに実践でき、道徳的にもビジネス的に神様に喜ばれる「成果」を上げて行きたいものである。
【20数年前にお世話したお客様が独立されて・・・NYに小さなオフィスを】 人生は正に人と人の出会いであります。かってNYの大手証券会社にお勤めで、かなり優秀で人徳のある方と妙に馬が合い、約5年ぐらいお付き合いさせて頂いた。 男女問わず、妙に気持ちが合う、或いは2,3日会わないと何か寂しいという方があるものです。私はお酒は飲まないけれど、良く彼の食事にはつきあいました。又同じテニス仲間であったので、週末は4-5時間の練習したり、日本クラブのテニス大会に出たりと,まるで学生のサークルの様に楽しく過ごしました。 彼はNYを離任する時に、何時かは独立して、NYに必ずオフィスを開くから・・・・と何度も言っていました。日本に帰ってから10年位して独立して、英会話の学校と通訳、翻訳の小さなSchoolを開いて、今春漸く、有言実行で42丁目のGrand Central駅近辺で、Small Offficeを開きたいと・・・。 幾つか知り合いのブローカーに聞いたり、評判の良い場所を探すと意外とあるものです。200SFで2-3人用の机があり、会議室や、キチンもついています。駅近です。約200ユニットの物を2つ持っている所があり、1室$1.200-1,500/Monthであります。 今日女性の代表となる人が気に入ったので、日本の本部でこれにOKが出れば、決めますと言っていました。知り合って有言実行した友人も凄いが、20年してもお互い友情の気持ちがあったのには驚いた。忠犬の交情みたいなものである。こういう友は家族や親族以上に親近感を覚えます。 ただの再会ではなく、なんらかの形で、彼のサポートを出来た事が凄く嬉しかった。晩年の友情の篤さや人間の情の深さは言葉で表せないものがあり、生きていて良かったなあーと感慨深く思いました。
【習慣・躾・感性】 人生は25歳―65歳迄は現実の競争社会の中で、如何に生きるかと言う事に精一杯で、その日、その日を生きるという事だけに最善を尽くしてきた。 そして一段落した頃から、又コロナ禍のお陰で、【考える】と言う事に「深み」が出てきた。深みとはこの意味では、「客観的」に見え始めたという事であろうか。 何か物事をなす時に、石の上にも三年と言われる。つまり基礎・基本を知れという事であろう。それを積み重ねていくと「習慣」と言う事に気づかされる。良き習慣をつけるとかなり「成果」は違ってくる。 特に早朝の勉強時間を作る【習慣】や「失敗」から反省して、出来るだけ二度の間違いをしないという習慣を早めに気づき、実行できた人が、物事に勝利・成功して行くように見える。 又メモをとり、空き時間、隙間時間に考えて、この先どうするかという「考える習慣」や、思った事を書いていく習慣、体操や歩きの習慣、また定期的に運動する習慣・・・・・時間と言う限られた中で、「習慣」によって、一つ一つを自分のものにして行く、身に付けて行くというのは愉しい。 近年は過去に自分自身では出来なかった事であるが、今なら自分はこうする、こうしたい・・・という思いが出てくる。又心に余裕が出てきて、物事を客観的に見えると言う事もあるのだろう。 こう言った良き「習慣」こそ、【躾】と言うに値するのかもしれない。小さな幼子に「躾を付ける」とよく言われるが、日本的には「習慣&躾」は一つの意味を兼ねているのかもしれない。こうしたいと思っていても出来ないのが、【習慣と躾】である。特に5Sと言われる「整理・整頓・清掃・清潔・躾」を意識して持つと、物事がスムーズに行く。それ故に、何かに取りかかる時は、無意識に5Sが考えられたり、実戦で出来たりしたら、本当に楽しい。 【習慣&躾】が出来て来ると【感性】を磨きたいという気になってくる。何かを作り上げるときはこの【感性】あるなしが大きな要素を持ってくる。これが子供の時から身についている人は素晴らしい。又自分自身に不足している時は出来るだけ身に付けようと「意識」する。この歳になって・・・と言う考えは禁句である。幾つになっても常に【感性】磨きはしたい。 現代社会では都市部に住むという事は必要な事であろうか。やはり良きものは都市部にある事が多い。特に美術館や演奏会、それ相当のものや流行も都市部でないとわからない。男性の紳士服等やネクタイして・・・は、もう限られた場所や、年齢層になってきて、日常的に着るものは、今まで以上にラフである。 こういった社会の変化を読み取る【感性】は都市部にいてこそ、窺がえる。良き【習慣・躾】は己自身の錬磨であり、【感性】磨きは都市の中での変化と、それなりの人物に会う事で、考えが変わって行くのだろう。 常に意識して、良き【習慣・躾・感性】は磨いていきたいと思う。
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