【品と心の余裕・・・・】 米国の昔からの慣習の中で、英米系の方が時々みせる、「お先に・・・、After you・・・」この気持ちを持てる時は心に【余裕】がある時であり、これが全てに「尊敬」「尊重」に繋がって行く。どれだけ「謙虚」に生きれるかである。相手に対する「思いやり・・・」という日本的な思考も好きだが・・・。 度々エレベーターの中で、出る時に手を差し出して「After you ・・・」と言われると、こちらまで何となく気持ちが良いものである。私もいかにもおじいさん、おばあさんとみられる方と一緒のエレベーターの時は、言うように心がけている。Old社会(Old School)の日本育ちなので、なかなかスムーズに手が出ない。気持ちはあるのだが・・・・。 学生の頃に、50,60代のアメリカ人「紳士」がこれをやって見せてくれた時には、形だけであるが、英米は精神的な余裕があるものだなあーとつくづく思ったものだ。目に見えないもので表されると「品」を感じさせてくれる。品は経済的に、又心に余裕のある時に生まれるのかもしれない。 経済的や時間に余裕がない時は心に思っていてもなかなか難しい。やはり「心の中」で「余裕」がないといけないのだろう。常に静かで、穏やか、控えめといった心の「余裕」を持っていたいものである。 落ち着きが「品」を高めていく。言葉でも服装でも・・・自分らしく、「品」を持っていたい。競争社会での戦闘から、今度は静かで落ち着いた自分に変えて行きたいと思う。 戦闘している時にこれを持つのは難しい。しかし一端Step Downしてみると、今度は「品」に惹かれる。粗削りから、普通になって、もっと磨いて綺麗(Fine)になって行く・・・まさに「物造り・人間造り」であり【芸術】である。 「人生は芸術」と言われる由縁であろう。今、人生・人間の最後の磨きの所に入ってきた。年齢、権威や経済力ではなく、【品性】で人生を終えたいという気持ちが強くなってきた。今までの闘争社会での私とは違ったものであり、穏やかで落ち着きのある、【品性のあるジェントルマン】でありたいという気持ちが芽生えてきた。環境や、状況によって、人は変わる。良い意味での変化は嬉しく思う。
【アメリカ社会のサービスの変容】 最近、久しぶりに体調が今一つ芳しくなく、近くの「City MD」に行った。久々に医療関係に行き、びっくりさせられた事があった。ここ5-6年そのような機関にお世話になっていない。それ故に医療機関は雑な「サービス」だと頭から決めつけていた所があった。 かっては白人の女性の方の受付や、サービスをやっていた分野は今はきちんと公的な機関で教育された黒人の方や、南米系の方がやっていた。 かってのぶっきらな態度ではなく、患者目線であり、ソフトなサービスでかなり親切にやっている。こちらが期待した以上のサービスなのである。勿論郊外とCityの中では患者さんの数も異なるから仕方がないかも・・・・。 右足が動かず、歩くのにも痛くて10メートルも歩けず、腰を屈めて漸くクリニックに着いたからかもしれないが・・・。検診した後にPrimary Doctorを探せという。それで頼んだら、20分位かけて5人のお医者をWestchesterから選んでくれてPrint Outしてくれ、アポまでやってくれた。周りには多くのクリニックや病院があり、「競争社会」であるからか、サービスが一段と良くなっていたので、驚かされた。 又もう一つは「Bank」のサービスもかなり違ってきた。今は何でも機械で処理したりして人的なサービスが減ってきているが、それでも「What can I do for you?」ときちんと聞いてくる。或いは場所によっては特定のサービスの方がいたりする。今迄の様にこちらが聞いても嫌な顔をしながら、この分野は私の仕事ではないといった言い方や態度はかなる薄れてきている。「競争社会」や「Credit」の社会はサービスの向上になるなあーと改めて感じる。 時代の要請なのだろう。もう上からの目線ではビジネスは出来ない。常にソフトで公平でなくてはいけない。そういう意味では社会主義や共産主義とは異なる。問題は移民の方は母国の遅れた上からの目線で仕事をしている時である。人種ではなく、きちんとしたアメリカ社会で公的な教育を受けてきた人の時代になってきた。 黒人の方や、南米系の方の35歳位以下の方々は立派に教育を受けている。アメリカも見捨てたものではないなと改めて思う。こういう【社会の変容】を見る時に「教育」こそ社会を変えて行くと強く認識する。 私達の価値観や感性とは異なるものである。今を生きる!には既に遅いかもしれない。こういう変化についていけなくなると社会で存在することは出来ないだろう。変える必要がないもの、真理や本質は変えなくても良いが、時代の変化や変容には注意しながら適応して行かなくてはいけない。それには常に「謙虚」さと「公平」ということを心掛けなくてはいけないだろう。男女ではなく、年齢でなく、Flatで「個人」をRespectする気持ちを持ち続ける事ではないだろうかと思う。
【ビジネスとは??知識(技術)・人脈・情報・・・・】 週末にやるテニスで怪我らしきものをして、久しぶりにゆっくりと休んで、瞑想をしていたら、ふと知識(技術)・人脈・情報と言う事が閃いた。 特に人脈・情報は心しておかなくてはいけないだろう。大局的に、或いは自分の領域の知識に秀でる事は当たり前であるが、意外と【人脈】【情報】の大切さを疎かにしがちである。 成功されている方は、気が付かないうちに自然とこれを理解されているから、【結果】に結びついているのではないだろうか。人脈はこちらが人々に与えるものがあって、必要な時にその方々から情報や協力を頂くと言う事になる。それ故にこちらも抜きんでた【知識、人脈、情報】を持っている事であろう。 人脈作りには色んな組織に入って、そこで認められる事であろう。知識や技術は自分自身の勉強で習得する事が出来るが、人脈は頻繁に、信用を得て、初めて認めてもらえる。特に相手が必要とアプローチしてきた時には、自分自身の如くに、相手に尽くす、協力出来るかどうかだと思う。 私は自分が必要とする人脈や情報が欲しい時には、相手には2倍の知識や情報を与えるようにしてきた。相手が一つ必要、私も一つ必要の時はEvenであるが、2つ与える。つまりExtraを与えておくと必ず「信用」を得る事になる。この信用の度合い、高さ、深さが【成功】に導かれて行くのだろう。こういった小さな日々の積み重ねが「積小為大」と言われるものになる。 私は特に木曜日、金曜日のランチは必ず、人と会う日として心がけてきた。これは毎日の読書や書き物をするという【習慣】に等しい。又若い時は週末のゴルフやテニスなどで、30-50人位の一つの集団に属する事も必要であろう。駐在員の多くがNYに居た1980-2010年頃は意識して合唱団に属していた。それ程上手くはなかったが、ストレス発散にも良かった。声が大きかったので、今一つであったが・・・・・。 アメリカ人の集団では、ゴルフやテニスとPeter Druckerの勉強会に属していた事もかなり役に立った。ゴルフやテニスは人種問わず交友が出来たのでかなり良かった。ただゴルフは時間が長かったのが今一つであったが。 運動や合唱、知的な勉強会は自分自身にも良く、同時に必ず【人脈・情報】作りに励んだものである。先日、豊臣秀吉・田中角栄氏に関する書を読んでいた時に彼らが成功した点は多くあるが、【人脈作り】にたけていたのが大であったのではないのかと思った。 ビジネスは所詮「人間社会」の集まりである。【知識と人間】を知り得たもの、そしてそれを形あるものに結びつける、これも一つの【創造】であろう。知識力・技術力・人間力・情報力を加味して、最後は決断して、結果をだす、勝利すると言う事になる。ビジネスはスポーツと似ている。もっと高度のものであるが。これが楽しいと思われる方がビジネスで【成功】という栄冠を勝ち得る事になるのだろう。 人生を楽しむ、ビジネスを楽しむ・・・なんであれ、自分が一番楽しめる事こそ、生涯を貫く事が人生の勝利につながると思う。
【歴史/史実に関しての捉え方ー日本と中国】 昨日You Tubeで歴史のの捉え方、日本/中国の中・高の教科書についての話が載っていた。中国が史実に対して忠実でなく、客観的に捉えず、ある意味、意図的に恣意的に、教科書を作っている・・・日本は面白さはなく、【史実】に忠実にあげつらえていると日本で学んだ中国の教授達は話していた。 この時、中国は歴史に限らず、恐らく【科学】に対しても論理性や、数字に対しても捏造や恣意的に考える習慣があるなあーと感じた。宇宙の法則や秩序が蓋然としているものを真実を観なければ、曲がって行く。気持ち的に自分達の思うようにしたくても、事実の認識がなければ、きちんと解明することはできないだろう。 恐らく、科学や自然界は「秩序と規律」で成り立っている。これが宇宙飛行士ガガーリンが見た、【宇宙は整然として美しい・・・・】と言った本当の真理だろう。数字が発見されてから、科学は凄い発展を遂げた。【自然の法則】には整然とした【正しい秩序】があるのである。 最近は健康に関しても数値で測り、分析されて健康状態を理解する。それ故に「事実」を知る事、ありのままを述べる、書くと言う事は凄く重要である。捏造や、ごまかしは何時かわかる。意見や見方は良いが、「事実」を隠したりしてはいけない。何事も「正しさ」と向き合っていく事であろう。 【宇宙と自然】に漠然と興味を持ってきたら、「科学」が面白いなあーと思うようになってきた。もし幼少期に科学に興味ある環境にあれば、生き方も違ってきただろうにと。アインシュタインが幼少期に科学に興味を持てる環境にあったからこそ、また数学や幾何に面白みを見出したからこそ大科学者と言われるようになったのは、科学と言う事実を見ながら、未来を想像して、創造に励んだからであろう。 そういう意味では、西洋には科学をやる下地や環境が整っていたと言えるだろう。日本ももっと科学や、数学に価値観をおいておく環境造りであって欲しい。決して小さな捏造や意図的、恣意的な誤謬は避けるべきだろう。 中国の歴史は好きであるが、やはり中国はいまだに歴史の認識が「史実」に忠実でないと思うとかなり落胆する。史実に忠実でない限り、西洋を超える事は出来ない。世界は【科学と芸術】が作っていく。 中国は史実に忠実でない限り、発展はしない、同じ過ちを繰り返すだけだろう。大国ではなく、土地が広いのと人口が多いだけで、物事の本質を理解していない。本質・真理・客観性を通して歴史や科学を理解して行く事こそ、人類の発展に繋がる。日本もそうであって欲しい。【歴史も科学】も「正しさ」に忠実であるべきではなかろうか。
※ 物件によっては、既にレントされていたり、オファーが入っていたり、或いは売れている場合もありますので、ご了承ください。