【人間力を高めるー教育・躾・モラル】 【人間】を作るのは、「教育・躾・モラル」のではないかと思う。これらをバランスよく、力強く、深く、美しく磨ききった所に「人間」としての【人格】が出来上がるのではないだろうか。 私は全ては「宇宙の法則」に則り、何事も作成されていると考えている。最終的には宇宙の法則はバランスの取れた「美しさ」にある。外面、内面双方にあり、内側が向上してくると顔や眼光、姿態に表れて来る。森鴎外等の写真や佇まいの締まりのある顔と知的な風貌が急に思い起こされた。 「教育」をしてくると顔に締まりが出て来る。そして眼が輝き、落ち着きが出て来る。不思議な事に、容姿も皆、「中肉中背」なのである。痩せても太ってもいない。程ほどの良さを保っている。人間を造るのは「教育」であり、「躾」であり「モラル」と思う。 全ての基本は【教育】にありだが・・・・。【教育】は「知識」と「人間性」を磨く事にある。人間性を磨くには、「躾」であり「モラル」を高めていく事であろうか。 「躾」は日々の小さな行動が「整然」とした【美】にある。物事の全てが整理・整頓されていて清潔である。そうした一人一人の【民度】が国民を作り、国家を形成して行くのであろう。 民度を高めるには「経済」が必要であり、ある程度の「経済力」の上に、「教育・躾・モラル」が形成されて行く。経済力を高めるには【教育】が欠かせない。どの分野であれ、「一流」になる事を目指す。その中には【深さ】と【高さ】と【強さ】がある。自分に与えられた「仕事」を通して、【人間力】を磨いていく。 その過程で、「躾」と「モラル」を高めながら、人間として尊敬に値するものとして、存在出来る確固とした「人間力」を磨く。そして芸術作品と同様に「人間芸術作品」を創り上げる事にあると思う。 私は「人生は芸術」であり、全てが「宇宙の法則」から成り立ち、「美しい」と言われるものを創り上げていく作業が「生きる」事の楽しさや深さに導くと思っている。 教育を高め、日々の生活はDiscipline,日本語では「躾」という言葉が見合っていると思うが・・・、そしてモラルを持って、「人間力」を高めて行く事が、神様から与えられた「人生」ではなかろうか。 何処迄高められるかは、明確な人間像を描きながら、意欲と情熱を持って、【人間芸術作品】を作り上げるのに日々「努力」して行きたいと思う。
【中庸・和する・穏やかさ・・・・】 晩年になって来ると、「中庸」という言葉に惹かれる。本来の意味は儒教の四書からのもので、孔子か弟子だったか・・・その後荀子がまとめたものだっと思うが、かなり前に読んで、惹かれた思いがある。若い時はなかなかこの漢字の意味するものは頭で理解出来ても、腹に落ちてこない。 物事が客観的に見えるようになって、「中庸」の良さが理解できるようになってきた。若い時は積極的で、拡大主義に走りがちで、広く浅くに・・・になってしまう。「深さ」がないのである。【深さ】は文明や文化がかなり進んできてたおやかさ、熟成・・落ち着きが出てきて昇華して行くものであろう。 近代の西欧の文明や文化をみていると、1700,1800年代は勢いがあり、まさに若さでぐいぐいと攻めている時だった思うが、1945年以降になって、世界が落ち着いてくると攻めより、穏やかさが良くなってくる。 日本も1960ー1990年位はまさに攻めの時代であったし、それ以降の30年のなだらかな感じでの生き様もそれなりに良かったと思う。大きな流れでは徳川期の260年が「日本」を作ったと言っても過言でないだろう。あの豊饒の落ち着きのある時がその後の明治以降の150年を作ってきたのであるから。 世界を見渡しても約5000万人以上の国を「国家」として見た場合は文化、民度では今の日本は世界のTop3に入るだろう。特に「民度」が優れていると思う。ただ穏やかで、秩序や清潔さを持ちながら、整然とする社会の中での「中庸」は、物事を「客観的」にみてもバランスが取れていて「美しい」。 晩年になると【洞察】が鋭くなる。物事を一歩引いて、或いは俯瞰してこそ本質や真実が見えて来る。これは私が思う、「宇宙の法則」であろうと思っている。 物事の原理原則・法則が見えてくると、凄く楽しい。中庸であり、和であり、穏やかさや、落ち着きである。無理せずに、今ある事にゆっくりとそして確信に満ちた中で、全てを受け入れて行く。たおやかな流れの中の中庸に日々惹かれる。こんな時に、心身が健康であれば、「晩年」もそれなりに良いものだと思う。週末は今まで読めなかった「書物」をゆっくりと紐解き、物事の原理原則&体験・経験を推考して、「深さ」を追及したい。 「求道心」と「思考の深さ」から【中庸】を楽しみたいと思う。
【民度や文化は躾が基本】 今アメリカのみならず、文明国と言われる国に多く方々がimmigrant (移民)としてやって来る。少子化対策か、米国では民主党の政策なのかは明確ではないが、米国には世界中からやってくる。南米のみならず、中国・インドや東欧・ロシアからも・・・。 一番困るのは、皆米国の社会の「標準」に合わせることなく、母国の価値観で物事を推しはかろうとする。インドや東欧、それなりに西欧のやり方をある程度理解しているように見えるので、比較的すんなりと入り込める。問題は中近東、中国からの移民である。南米は比較的、まじめであり、余り大きな害はないように見える。 レストランなど下働きは南米の方が多いが、ある程度のモラルはあるので、雇用するには問題がないように見える。問題は中近東と中国である。中近東は貧しさが半端でなかったのか「盗む」という行為に関しては要注意を必要とする。(皆ではないが・・・) 一番困るのは中国からの方であろう。モラル意識はかなり低い。何度か会議室を貸した事があるが、殆ど後かたずけしない。飲みっぱなしや食べたあとの袋がそのままになっている。つまりある意味の「常識」に欠けている方が多かったように思う。10年前迄はそうではなかったが、最近は酷い。要するに「雑」なのである。これは韓国も同様である。 中国や韓国にレストラン工事などを発注するとかなり安いが、出来上がりは良さそうであるが、かなり手抜きが多い。日本人やIrish系やアメリカ人等に見積もりを取らすとある程度の「常識」の値段を持ってくる。中国系に工事を頼むと3年位したら壊れたり、再度依頼しなくてはならない。日本人の場合は5-7年は持つ。(皆とは言わないが) 40-50年程前は良きアメリカ人・・・と言われた方々は家庭でそれなりの【躾】がなされていて、「成る程・・・」と理解出来たものである。つまり倫理観・モラルが存在したのである。これが【民度】や【文化】なのだろう。民度や文化は「躾・モラル」と「知識教育」と言われるものであろうか。 国家と家庭の裕福さが、モラルや躾を付けるには重要なのかもしれない。或いは「気質」みたいなものもあるのかもしれない。人に迷惑かけない【思いやり】こそが「民度」に繋がる。自分は間違っていないという自己主張もいいが、何事も相手があっての事である。 民度を高めるには家庭でも躾とモラルの向上は欠かせない。「教育」とは知識だけでなく、人間としてどうあるべきかが問われる。まずは「モラル」と相手に対する「思いやり」があって、【知識】を向上させていくという事が重要だと思うのだが・・・。
【今日一日を毅然と堂々と・・・・】 週末は「心の余裕」があるから好きである。恐らく5日間と言う働く日があるから、ゆっくりと休む週末が良いのだろう。「仕事と休息」このバランスを上手に使いたい。 屈伸の体操をして、身体を柔らかくし、サラダを食べて、家の近くの散歩道を始めはゆっくりとそして段々と速く歩くと爽快である。そうして帰宅しシャワーを浴びて、血糖値を記録する。「記録」するという「継続」の習慣は凄い。「継続」すると「強さ」が出てくるし、努力しなくても自然に出来る様になる。 【良き習慣】をもって「人格」を磨けば、盤石になる。体力、知力、意欲を付けてしなやかでありながら、鋼の身体と優しき心を持っていたいものである。 最近は優さしも大切であるが、「毅然」とした佇まいと「締まり」に気持ちが行く。私は全てが「整然」とされて、「綺麗」であり、「締まり」があるものが好きである。「強さ」の中に【美】がある。それ故、己自身の中に、「毅然」としたものに惹かれるし、そうありたいとも思っている。 人間は色んな心の持ち様があるものだ。毅然としたものにあこがれる時は比較的、肉体的、心理的に健康な時であろう。センチになったり哀れみや寂しさを感じる時もある。このような時は疲れ切り、心に余裕がない時であろうか。毎日、毎日、書を読み、考え、「書く事」で頭をClearにして、明確な一日に「目標」を持って行動して、しっかりと生きたいものだ。 そいう時は「毅然」とした風貌になっているのだろう。写真から見る「西郷隆盛」は厳然と眼光を見開き、堂々としている。私にはある種の憧れがある。 時代は変わって醤油顔と言われる逆三角の顔が今は良いようだが(顔は余り関係ないか?)・・・・。身体が引締まり、明確な目標と共に、心の内は、素直・誠実・感謝を持ちながら、外観は「毅然と堂々」with Smile を持って淡々と日々生きたいと思う。
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