【競争社会から一歩引いてみて・・・・】
最近はセミリタイアに近くに成り、社会の「競争社会」から一歩引いてみる時間が増えて、感じる事がある。競争社会に居る時は、行動力と【結果】が求められる。
【人間性】はどうしても二の次になりがちであった。スポーツもビジネスも【結果】であると、頭で理解していても結果としてそれを示せないと相手に対しても自分自身にも説得力や納得がいかない。
それ故に相手に対する「尊敬・愛する・思いやり」という眼差しが幾分欠けていく。理論的に正しくとも、結果が出ていない時には苦しい。一方激しく、厳しい【競争社会】から離れてみると、【人間力】は如何に大切かがわかってきて面白い。
今迄生きるのに精一杯で他が見えなかったものが、ある程度離れてみたり、一段引いてみると、ビジネスや生きる事はこの【人間性】を作り上げるためにあるのではないかと・・・。
経済的に時間的の【余裕】が出てくるとこんなにも違うものかと・・・・。「健康と経済力」は生きるにはかなりの重要性を示す。牧師さんや僧の方々は、この2つに余裕があるからだろうか。人にもよるが、ある程度の人間性が出来て来ると、尊敬や愛や知性を示せるようになるのだろうか。恐らくは「心」の余裕であり、「意識の持ち方」が変わって行くのだろうか。
勿論プロスポーツ選手やビジネスでの成功者は実力があるから、人間性も高まってくる人も・・・・。恐らく、「問題意識」を持って、日々考え、気づきのある方が、【実力と人間性】を持つと皆が納得が行く。良い例が野球選手の大谷選手であろうか。
人間としては、「気立てが」良いと言われる事は重要である。一方、ビジネスやスポーツには「勝気」が凄く大切であるが、競争社会から一歩下がると、「人が良いや、気立てが良い」の方がすんなりと受け止めやすい。
人に対する判断力も相手を赦す、寛容さが競争社会で生きていた時よりも大幅に楽になる。競争社会に居る時は「完全性」を求め、勝利する事に喜びがあったが・・・65歳頃迄、競争社会の現役であった頃はなかなか心の中の余裕がなかった。お陰で家族と過ごす時間が少なかった。これが人生の後悔の一番である。
両親や、多くの夫婦が老後になって「旅行」をしまくっていたりするのをみたりすると、成る程・・・・とも思う。恐らく奥さんに対する懺悔かもしれない。もう遅いとは思わないが。。。。子供達と一緒にもっと楽しんで、過ごすべきだったと思う。
競争社会から一歩離れると、物事の「原理原則・社会の法則」が良く理解出来、今迄以上に【人間性】を高めて行こうという意識が強くなってくる。「菜根譚」を残してくれた「こう(さんずいに共自誠」の書に惹かれる。久しぶりに菜根譚を読んでみようと思う。