【清く・正しく・強く・美しく】②
清さと共に、「正しさ」は必要である。正しさとは何かと問われれば、「宇宙の法則」/the law of Universeではないだろうか。これは社会や国家ではなく、神様みたいなもので、これが規律となって、物事の判断、基準が出来ているように思う。
人間には不思議なセンサーがある。これって間違っているの?正しいの?という意識と判断は論理よりもある種の「直感」である。この正しさはおそらく日頃から「清さ」を持っていると、何が「正しいか」と言う事がわかるような気がする。全てが清いというわけはないが、出来るだけ、清さ、クリーンでいれば、一つの事の判断基準として「正しさ」が出て来る。
上司や先輩が・・・・という悪しき社会の慣習ではなく、[【真実・本質]】は何かという問いに忠実であるべきだろう。それ故に、常にこれの本質、本物は何かと問いたい。時には条件付と言う事もある。或いは期限付きで・・・。しかし求めるものは、宇宙の法則に従って、「正しい」かどうかであろう。
これが実践躬行できるという事は、自由主義社会に生きる我々はラッキーというか、職業の選択のチョイスがある。これは大きい。私は中学の時から、将来は自分で会社を作りTopとなるという考えを持っていた。お陰で、上司はいなかった。それで基準としたのは「宇宙の法則」であったし、中国・西洋の書物からの学びであった。これらの双方を学び始めると、物事の中心、真理や本質がみえてくる。コアである60%はどちらから見ても「正しさ」は同じであると・・・。日本での中高生の時は、中国の有名な書物に、そして大学以降は西洋の書物、アメリカに来ては「聖書/バイブル」の学びをやった。
結局は「宇宙の法則」が自然と理解することが出来るようになってきた。それ故に、今が一番人生の中では面白い。物事に大体の「法則」があるとわかってきた。全てに言えるのである。不思議だし、面白い。ある意味、「正しさ」とは「宇宙の法則」ではないだろうかと思う。