【一日を愛を持って、丁寧・誠実に・・・】
一昨日は凄く寒かったので、ほぼ夕?8時に就寝した。お陰で、真夜中1時ごろに起きてしまった。すると不思議なもので、「愛と丁寧と誠実」に生きようという考えが浮かんだ。するとそのままの「気持ち」を書いておきたくなった。多分前日に探しても探してもみつからなかったKeyが、帰宅の時に車から降りたら、雪解けの中から落ちているkeyがみつかり、(朝かなり雪が降り、あわてて雪かきをした)神様に自然に「ありがとう」の言葉が出たからであろうか。
最近はこういうことが多くなってきた。かなり気をつけて鍵や財布や携帯は同じ場所に置く様に心がけてはいるが・・・。人間は嬉しい、幸福、充実を感じた時は凄く満足感がある。毎日の小さな「歓び」こそ生きる源泉となると心から躍動を覚える。嬉しいのである。子育てする時に「褒める」事で、子供は成長して行くのと同様であるろうか。
【愛】という言葉は生きる全体を表している。身体全体からこれが満ち溢れていたいものである。常にこれを心から感じていたい。愛を持つと同様に、今日一日を【丁寧に誠実】に生きたいと言う気持ちも同時に持ち上がる。これが嬉しいのである。【人生は芸術である。】というのが私のモットーであるから、これらが「無意識」として浮かび上がる時は本当に嬉しい。
こういう気持ちを持っていると、知人や会う方々に何かしてあげたくなる。先日もなにげない気持ちである有名な専門店に入った。冬物のセーターがセールになっていて、ほぼ半分のプライスであったので買ってしまったら、急に知人にも贈りたくなって3着買ってしまった。不思議なもので、これをもらったら嬉しいだろうなあーという気持ちが湧いてきた・・・・。無意識の「愛」かもしれない。母親というのはこういう気持ちかなとも思った。
人の事を思い、愛を感じる時は満足感がある。そういう時は自然に「丁寧に誠実」に生きたいと言う想いが自然に湧いてくる歳になってきた。人に何か貢献する・・・・神様に何かお返ししているような気持になる。こういう時に神様と「対話」している自分がいる。恐らく今日の一日は充実しているだろう。
日々の「小さな」想いが、小さな「言動」になって雪だるま式に、少しづつ成長して行く自分がいる事が本当に嬉しい。今日も新たなる一日、「小さな作品」をしっかりと描きたいと想う。