人生は【愛・知性・美】
人生の晩年を迎えると段々と真理や「哲学」に興味を覚える。「人生とは何か?」と問う時に、本当に深い叡智が真理を探索しているのに驚かされる。若い時は「経済力」「家庭」等が主であったが、最後は人間の根源的なものが心の奥深くからドグマの様に揺り動かす。
「人生はArtなり!」と言った方がいたが、それにも共鳴する。生きる事はArtである。日常生活そのもが【芸術】を造り上げる作品である。毎日同じような事をしていても、目的と意識する事で、毎日の「積み重ね」が「複利」を産んでいく。
健康維持の為に「歩く」という事も1か月、毎日30分歩く事で、足腰が強くなっていくのが目に見えてわかる。又毎日「考える」時間を持つ事で、気付きのセンサーが頭の隅にあり、ふとした瞬間に日頃から考えていた事と結びつく。これらは日頃から「考えて」いたからこそ、産み出されるものだろう。
人生の若い時に大きなVisionを持てば、必ず想った通りになるであろう。最近の大谷翔平選手は中学生の時に曼荼羅図を構成し、アメリカで打者と投手の「二刀流」を目指したとされる。そして日々努力すると言う「小さな」【習慣】を積み重ねる事によって成し遂げた。
これはスポーツに限らず、全ての分野で言える事ではないだろうか。アメリカの教育界でも今これが見直されつつあるようである。12歳から15歳までに人生の方向性を見つけた方はある意味ラッキーだろう。それには土壌がなくてはならない。(日本の教育界は小学生から中学性までのカリキュラムは優れていると思う。特に団体で、掃除する事は秀逸である)
人生の根本はやはり【愛】である。受ける愛よりも与える「愛」を持つと人生がより良くなる。Giveこそ20年、30年後に自分自身にブーラメンで戻って来る。人生でどれだけ「与える」事ができたかである。
又「知性」は叡智と言えるかもしれない。私は「宇宙の法則」/the law of Universeと捉えている。真理は客観的であり、「事実」に対して評価される。主観や感情ではない。これは確かか?と色んな角度からアプローチする。そこで見い出す動かぬ真理こそが本物であろう。人間は自分自身には甘く弱い。しかしどんな時でもCoolで客観的でありたい。常に第3者の眼で見る事である。知は数字と言う事実であり、論理であり、動かぬ真実であり、客観性である事であろう。(ある時期からこれが身に付く様になって人生が楽しくなった。}
最後の「美」は私が一番惹かれるものであり、愛と知は【美】に終着する。バランスの美、力の美、経済力の美・・・・・最後は「人間力の美」こそ私が一番求めるものである。顔に愛嬌(スマイル)があり、締りがあり、皮膚が輝き、眼光は鋭く、慈愛に満ちている。身体は程よく中肉中背であり、安定、信頼感がある事だろう。
最終的には「人生は美であり!」これを求めて生きるのが人生そのものではないかと到達したのである。晩年は素晴らしい。こう言う事を理解出来るようになって、自分磨きが楽しい。女優の吉永小百合さんが80歳になられても60歳位にしか見えない。日々耐えまず磨かれて来たのだろう。
私も生かされているいる限り「Sakai」という被造物を磨いて、一流の「人格」と「容貌」を持ちたいと思う。