【若い時は稼ぎに・・老齢なれば、どれだけ【与えられるか】に興味が出て来る】
最近は人生の「深さ」と「愉しみ」が与えられて、楽しい。人に金銭を与えると、必ず問題が起こるが、それ以外の時は相手に何か必要な事を与えたくなる。
歳をとって来て与えられるものは「知恵」であり、ある種の「経験」だろうか。誰かと出会う時に必ずモノではない何かを「与える」様にしている。
先日はX1の方との出会いがあり、男性は良い人がいないかな?と会話の中で・・・。最近知人の紹介で出会った女性の方もX1であった。女性の方は今すぐにとはおしゃっていなかったが、会話の中でやはり良い人が・・・。
それで先日デートしてもらったら双方から「ありがとうございます。」というお言葉を戴いた。相手を探していても、皆ある程度のプライドがあるからなかなか言えないものであろう。それを察して適早にこちらが「行動する」かどうかである。
少し前にある会社がコロナで業績が悪くなってきたと聞いたので、始めはかなり大きな金額なら売ろうと言っていたが・・・永住権も取れたので・・・そんな情報が入ってきたので、3-4回リーチしているうちに良い線までやってきた。それで日本の投資事業のヘルプをやっている、「性格」の良い方に、もう40代後半だから「独立」して社長になったらどうかとお勧めしたら意外にも「是非やりたいです!」であった。この方は自然体で嫌味がなく、人に好かれる性格であったので、このお話を持って行った。恐らく彼はこれが転機となって彼の人生は凄く好転して行くだろう。
人間は誰と繋がっているかで、人生は変わって行く。誰に声掛けをしてもらえるか?そうして、人生の先輩に【礼】を尽くせるかであろう。このM&Aでは私は一銭ももらわなかった。人間は不思議なもので【礼】を尽くすだけで、【お金】は一銭もいらない時があるものである。
「礼」を尽くすだけで、人生は変わって行く。何も右顧左眄する必要はない。淡々と目上の方にそれなりの態度で接する事だろう。これは洋の東西変わらない。知り合いのユダヤ人や古くからの米国人で知性的な人達は皆、年上の方には「礼」を尽くして可愛がってもらっている。
時々日本の方で少し成功された傲慢な方に会うと、多分10-20年後には没落されるだろうなあーと感じる時がまあまあある。とても残念である。人生、「塞翁が馬」である。何処で何時状況が変わってどうなるかわからない。常に「謙虚」であり、「人に好かれ」、【礼】を尽くせるかであろう。
【与える】事は自分自身に時差でブーメランで返って来る。或いは将来的に子供達や子孫に何等かの形で、「恵」がもたらされるであろう。若い時に中々出来なかったが、今、漸く両親や祖父母の【与える】意味が分かり、実践しようと言う気持ちが出てきたのは嬉しい事であると思っている。