【神様から与えられた命、精一杯生きよう!‼】
【命】とは不思議なもので、肉体の減退はあっても、精神や魂は無限に強い。これはそれぞれが持つ「気持ち次第」であろう。100歳になってもまだ生きようと言う「気持ち」があれば、人間は永遠に生きれる。
人間には【希望】というとてつもないエネルギーを産み出す「力」が備わっているからだ。宇宙や自然をコントロールする神様が私達を必要として地上に送り出してくれた以上、責任がある。
それを生かすかどうするかは、それぞれが「生きよう」という活力と「想い」があるかどうかによるだろう。生きている限り、家族や、知人や・・・諸々の人に歓びを与える。
良き事をして最善を尽くし、一生懸命生きようとしている姿にも周りの人に活力を与える。過去はもう既に終了したのである。「今」と「未来」が人生である。終わった事は反省であっても、生きる活力にはならない。【今】をしっかりと生きる事が「次」に連なる。
過去を振り返れば、多くの失敗の後に、忍耐強く、待ち望んで頑張っていた時、何時からか何処からか、援護が来て差し伸べてくれたではないか。私は当時、英国の首相のチャーチルが、第2次世界大戦中にドイツのヒットラーからロンドンに攻め入れられた時に、ラジオで英国民に「Never, Never, Never give up・・・・・!!」という彼の命を懸けた声明に感動する。
生かされている以上、99%が上手くいかなくても1%の【望み】や希望があれば、チャンスはやって来るのである。決して投げ出したり、諦める必要はない。ひたすら神に祈り、我慢すると内部から生きろ!という声が聞こえてくるだろう。肉体は疲弊しても、精神や魂があれば、人間は幾らでも立ち直る事が出来る。
かって知り合いの方が「癌で余命3か月でしょう・・・」と言われた時に一緒に祈った事がある。彼はそれ程信仰深い人ではなかったが、人間ギリギリになれば、神にも助けを乞うしかない時が来る。彼はあの当時、多分40代半ばであったような気がする。子供さん2人、小学生であった。事業のストレスで悩み過ぎ、髪が薄くなり、気持ちもかなり弱っていた。平常は強そうに見えたが・・・・。
私はその時に彼と共に教会に行って祈った。彼はかたくなにその後に及んでも、断っていたが、奥様に言われて嫌々しぶしぶ祈った・・・・。不思議と数日してから何かに押されて自然と後ろから誰かが「気」を与えてくれたと言っていた。かたくなでなく、「素直」に受け入れたからであろう。
なんと3か月後に死を宣告された彼の心臓から黒い影がなくなっていたではないか。私も同行し、当時3か月前のレントゲン写真を見せてもらったが、ほぼ真っ黒であったものが、綺麗になくなっていた。マウントサイナイ病院での経験豊富な医師の方であったが・・・・。担当医はあまりの変化に驚嘆していた。
そんな彼は今は78歳でぴんぴんしている。当時を思い出すと笑が込み上げて来る。爾来自分だけの力ではなく、多くの人のサポートで命を生かされている事を悟った彼は、今は日本で、障碍者の方の為に、車椅子を贈る活動に人生の後半を捧げている。
人間は神様から貴重な「命」を与えられている以上、諦めず、最後までベストを尽くして【生きる】事こそ、我々の人生の【使命】ではなかろうかと言う気がする。神様がお前はもう天国に召すよ!と言われる迄、精一杯生きるのである。!!。それこそが【人生】であろう。