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【神に祈ったか・・・??】
Sat, August 17, 2024 23:47

【神に祈ったか・・・】

私にとって、日々の生活は「神様」と共にある事である。毎朝15分から20分祈る。もう30数年近くになる。時々朝の祈りが十分に出来ない時は何か忘れものをした気がする。日常の習慣とは恐ろしいものである。

 

食事を忘れても腹が減ると遅くても食べる。これと同様に祈りを習慣にしていると、毎日祈らないと何か食べ忘れた気分になる。そんな時は、通勤中の中でもトイレの中でも祈る!。

 

そうすると何となく気分が落ち着くのである。毎日座禅や瞑想するのと似ているかもしれない。【祈り】や、【座禅】、【瞑想】はどんな多忙な時もわずか3分、5分でも大切である。このひと時、神様と共にあると思うだけで、勇気や希望が出てきたり、物事を第三者的に、【客観的】に考える事が出来る。

 

物事を為すには【集中と徹底】であるが、どんな時であっても「客観的」であるように心がけていなくてはならない。ある事に一所懸命にやっていてもなかなか上手く行かない時がある。これでもかこれでもかと諦めずにやり続けるが、上手く行かない。時間をおいて客観的にやったら上手く行く時もあるが、私はそういう時は【神様に祈ったか?】と自問する。神様に祈ったか?というのは、神様は私の完全なるパートナーだからである。常に神様を感じていると殆ど出来ない事はない。

 

若い時に、米国のレストランを買収した時にストライキに会い、会社運営がにっちもさっちに行かない時があった。20代後半の頃で、事業を始めて5-6年経った時に、最初のストライキに遭遇した。当時は神様の存在は頭の隅にはあったが、心から信じている感じはなかったが、止むに已まれず、ある日曜日に「教会」に行ってみた。

 

その教会はW57丁目にあり、古からの教会であった。その時の牧師さんの説教は、偶然にも困った時は、「神に祈れ!」であった。既に古希を迎えられて重鎮だったらしく、特別に説教されていたのだろうか。牧師さんの説教を聞いていたら心が軽くなってきた・・・・。悩みに悩んでいたからだろうか、彼の説教が「神様」に見えてきた。その時のフレーズの中で、【神に祈ったか!】という言葉がすーーと心に入ってきた。

 

不思議なものである。人間は究極になると「神様」に祈る。その祈りが真剣な時は必ず「祈り」はきかれる。これは神様頼りではなく、真剣で誠実に求めていれば、宇宙の神様が呼応して下さると言う事であろう。こういう事が何度もあった。いまだに解明できないが、常に神様が傍らにいらっしゃると思い始めてから、全てが上手く行く様になった。

 

面白いもので、ある時に大変な事に遭遇しても、これは神様からの「贈り物」と思った塗炭、心が軽くなり、艱難を乗り越えて行く事が出来た。苦難と思われる時もなんとか乗り越えて、数年後に気が付けば、それは必要であったと思えたり、それがあったから今があるのだと思える事が良くあった。

 

人間は誰でも心中に「神様」の存在を持っている。これは宗教と言うものではなく、心の中で、この神様が存在するからこそ、人間はこのような発展をすることが出来たのであろう。

 

神様とは?人間とは?と科学的に解明できないものと同様であろうが、常に神様と共にあると思うだけでも心強い。お金や人間は裏切るが、【神様】は良き事をしていれば、必ず助けて下さる。それには日頃から「良き」事をするように心がけていなければ、神様はそれに応えて下さらない。

 

毎日の祈りと共に、神様に喜ばれる日々の生活を送りたいと思っている。【神に祈ったか!】という強烈な言葉は私の中では忘れえぬ言葉である。