【晩年の人生の充足化感・・・何処迄他人(ひと)に捧げれるか】
晩年は生活が落ち着いてくる。若い時には味わえなかったゆったりとした【穏やかさ】「しなやかさ」が出て来る。これがとても嬉しい。生きていると言う「充足感」がある。
若い時は仕事に夢中で目的に到達したり、一つの事をやり遂げた時に、今とは違う別の意味の満足感があった。動的な良さであったが、晩年は静的な「穏やかさ」「落ち着き」に惹かれる。
動的な西洋、静的な東洋。この二つの文化を併せ持つ「日本の文化」は最高である。最近は月火水はお仕事、木金は人と会う。土日は趣味や、夫婦でのレストラン巡り、Barnes noble book storeでの「読書」と人生の晩年をかなり優雅に過ごしている。
仕事は40-50代の方々の経営コンサルであり、物事を今までの経験・法則を通して、「客観的」に洞察する事が出来る。人間模様、組織、社会や自然、政治、経済・・・・・文化・・躾・・教育・・色んな分野で「何が正しいか」という基本を通して、クールにそれぞれの物事の「法則」で、判断、見解する事が愉しい。
そして今の自分自身は今後、人生をどの様に立ち向かうかである。「読書」のお陰でどれだけ、知性を磨き上げられたか・・・測り知れない。人生は「知」と「愛」であろうか。
人間には「向上心」がある。これが生きている「エネルギー」となる。淡々としながら日々、情熱をもって一生懸命に生きると内省的な充足感があって楽しい。
「心の充実感」は何物にも代えがたい。人との会話を楽しみ、夫婦での会食・・スポーツ、読書・・Cooking、掃除、洗濯・アイロン、靴磨き・・・・一つ一つに意義を見出し、「高めたい、極めたい」という気持ちになって行くのがとても楽しいのである。
あとは如何に「健康」で過ごすかである。健康でなければ何も出来ない。65歳頃迄は健康が当たり前であって、この重要さを気づかなかった。晩年になってくると若い時の反動と、ケアと言うか「管理」が十分でなかった身体は、色んな痛みや故障が舞い込んでくる。改めて「健康管理」の大切さを学んでいる。
「無病息災」が一番である。何かを凄い事を成し遂げると言うのではなく、「結婚」という人生の一大事業と「子育て」という大きな仕事?と独立して「会社経営」をやってきて、やりきったという満足感はあるが、今はもう全てが過去である。振り返ってみるとかなり充実した人生であったと思う。妻に恵まれ、子供達もしっかりと成長し、今晩年を粛々と過ごせる事は幸せである。
多くの人との素晴らしいめぐり逢い、読書、・・・・。何より祖父母や両親に感謝したい。又同時に無限大の可能性を持つ場所でチャレンジさせてくれた、「アメリカ合衆国」にこそ賛美をしたい。
人間は「環境」の動物である。生まれるのは自分自身で選べないが、「何処で生きるか」の選択は自分自身にある。この選択をさせてくれた「神様」に心から感謝を捧げたい。
あとの残された歳月を出来るだけ他人(ひと)の為に働き、今迄に人生で頂いた様々な恩を、幾ばくかでもお返しして生きたい。そういう気持ちがある以上、これからの人生は今迄と違った充実感があるだろうし、今後の人生はより楽しくなりそうな予感がする。