【文化とは「エネルギー」と「道徳」のバランスではないだろうか・・・?】
今NY,USAは移民の方々の流入が凄い!。従来の「良きアメリカ文化」が段々と希薄になってきている。街は荒れて、汚くなってきた。「良き秩序」の破壊である。
移民の方々は貧なる自国の価値観で生きようとしている。かっては街や人間社会は「整然」としていて、過ごしやすかった。何事もClean, Simpleで物事の「正しさ」と「秩序」はしっかりとしていた。ちょっとした会合や、人と会う時は男性なら「ネクタイ」をきちんとして、それなりの装いで会合が開かれたものである。
今ネクタイ姿の方は、ほぼ50歳位以上の男性にしか見受けられない。Noネクタイで、ラフな服装である。お陰でそこに焦点をあてた「ユニクロ」は大成功であるが。コロナ前とコロナ後では社会の【文化】の変容は凄い。正に第2次世界大戦前とそれ以降であろうと思われる。
服装に関してはもっともっとラフになって行くだろうし、生地の良いものを新しいファッションで、リーズナブルな値段で提供する所が生き残って行く。そういう意味では「物造り」が出来る「日本文化」は今後は世界のLeadershipを取って行くだろう。そして日本は何処よりも「道徳」の基準が高い。今後、もっともっとこれの良さが語られて来ると思われる。スイスや、カナダ、英国・・・・同様な価値観と社会が構成されて行く。
社会は常に新しいものを歓迎する。「Something New」が尊ばれる。マイクロソフトは21世紀の大発展であっただろうし、世界は常に「進化」している・・・・。社会に「活力」がある時は「生きている」という感じがする。一つの時代はおおよそ30年位であろうか。1995年頃からコンピューターが現れて、今はITへと進展している。
現金がカードになり、交通機関はチップになり、近い将来は車も自動運転になるだろうし、社会は進歩?変容していく。100年が人生とみなされるなら、3-4つの時代の変化についていかないといけない。そうでなければ、自然淘汰されて行く。常に「学び」が必要である。
面白いのはある一面を取り上げれば、「道徳」というのは古来、何千年とあまり変わらない様に見えるものがある。人間は社会の進展のための「欲望」を上手に生かした者が、「成功・勝利者」になってきた。しかし一方、自己の規律や道徳に負けたものは、一時的に勝利者になったかに見えても、最後は奈落の底に堕ちていった。
社会の進展は「良きエネルギー」を上手に活用して、「自己を律した者」が生き残る世界である。何か新しいものを産み出す「エネルギー」と「善き人間」が持つ「道徳力」の【バランス】を兼ね備えて生きる事こそ、今問われているのではないだろうか。