【当たり前の事を当たり前に・・・・】
昔なら驚きもなければ、当たり前でしょう!という事だが、昨今の価値観では、知られなければ、そのままでも良いのではないか?という価値観が敷衍している様に感じていたが、最近、小さな感銘を受けた事がある。「信頼」という事であるが・・・・。
今も継続してある勉強会に属している。旧勉強会から新勉強会に受け継ぐ時にある金額が一人一人に渡される事になったが、私は毎年残され金額から引かれる方法を取ってもらった。
1,700ドル近くあっただろうか。毎年約350ドルの会費がいる。私としてはまだ残り470ドル位残っていたと思っていた。それで、今年の会費は350ドルですから2月末期までお支払いくださいというメールが来た。私としては残額は十分にあると思っていたので、連絡しなかったが、管理している方から、改めて残りの金額は幾らになります・・・・・。それ故に今年はお支払い戴くなくても良いですよと連絡がきた。
最初は何の連絡もなかったので、350ドル支払うつもりでいた。記憶としてはまだ残っているはずだが・・・・・。ある日会のTopの方から上記したようにまだ残金は残っていますという通知があった。この時、不思議とこの彼は「信頼」に値するなと思った。送ったの別の担当者だったからそのまま、入金しておけば、知らぬままであっただろう。日本ではキチンと面倒でも細かくやる。アメリカでビジネスしていると特に、中国や韓国や中近東の方々は知られるまで黙っていたり、クレイムがきて、始めてExcuseを言う。かっての白人社会はこういう点、モラルがあり、当たり前であった。アメリカも1985年位から移民が入り込んできてご自分達の「価値観」で物事を処理するようになってきた。(ベトナム戦争以降)
旧い年代の人間としての「当たり前の価値観」と新しく移民として自国で持っていた価値観の違いであろう。G7+ユダヤ人と呼ばれる国々には同じような「価値観」がある。モラルという倫理観がある。これは今迄、当たり前で合った事だが、最近は異なる。それ故に今回みたいに、整然と当たり前の事を当たり前にやる方は「信頼」を得る。
悪くなるアメリカの社会であっても、きちんとした物事や人間の対応は素晴らしいと思う。ある意味「当たり前」であるが、不思議と感銘を受けたので、このブログに書きたくなったと同時に、これを実践された方と数名に賛美のメールを送った。
人生は整然と「正しく」生きるのが一番である。これを全うしたものが人生のある意味の「勝利者」でないかと思う。