【常に「美意識」を持つ・・・】
「人生はArt(芸術)である」と言うのが私のモットーの一つである。最近段々と加齢して来ると、益々この考えがより深くなる。「深く」なるというのはぼんやりではなく、くっきりと見えて来るのである。
時々、男女問わず、70歳前後の方々で、身体、顔つき、眼の輝き&Smileに毅然とした中に、人生の余裕と落ち着きが見え、品良く、ふわーとした衣服をまとった方に出会うと一瞬立ち止まってしまう。美しく、ハンサムなのである。
「美」とは美しいなあーと思うひと時である。何事も「意識する」と言う事は大切であり、例えば、ブログを書く。言葉使いに気をつける。毎日シャワーを浴びて、身だしなみをちゃんとするために、洗濯、アイロンする・・・・。日常の生き方に、決して無造作にしない。配慮する、思いやりを持つな等、小さな気づきや、意識するだけで、身辺が整ってくると気持ちがいい。最近は「整然」という言葉がとりわけ好きである。
若い時はある意味おおざっぱで、少し位の事は気にしないで、がんがん前に進んできた。仕事に勉強に家庭に、色んな分野にエネルギーをかけなくてはいけなかったから、「精密に」という事がそれ程気にかからなかった。
しかし65歳過ぎた頃からだろうか?「美意識」「バランス」「穏やか」「落ち着き」「安心・安定」という言葉に惹かれたり、特に「美」とは何か?というものに心が惹かれ始めた。ある時にこれが「人生」とひらめきが湧いたのは忘れる事が出来ない。それ以来、人物を見ても、書物を見ても食べ物、衣服、ビルデング・・・・日常のあらゆるものの「美」を意識し始めた。
ビジネスにしても家庭にしてもバランスよくできて、上手く行っているものは全て「美」が存在するのであると。ある時、日本から50年ぶりに会う方があった。残念だったのは、20代そこそこの時は凄い美人と言われ、学内でももてはやさされた方であった。ロックフェラーセンターで久しぶりに会った時は誰かわからなかった。食事してお話しているとX2で人生を色々と苦労されたらしく、顔はしわだらけで、笑いも無理してだった。その時に、男女問わず、常に「美意識」を持って生活しなくてはいけないと学ばさせてもらった。
それ以降、必ず鏡を見る事が多くなったように思う。かっての日本では、男性の美意識は殆どなかった。ましてや男性がそういう事を持つ、考えると言う「価値観」がほとんどなかった。しかし米国は男性でもいい男は容姿が格好良く、大小問わず「社長」さんはそれなりの服装と品位があった。これでかなり学び、いつも身なりに心がけるようになった。今となっては「感謝」である。
「美」とはかなり抽象的な言葉ではあるが、美にはIntelligenceが含まれ得る。日本語的には「知的」であるが、賢い美であろうか。言葉的には、Simple ,Clear, Smartとという語彙が好きである。これら3つ合わせたものが「美」になるのではないかと思う。