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 【生きるとは自己を律して、神様に捧ぐ(尽くす)事ではないだろうか。】
Fri, July 05, 2024 17:51

【生きるとは自己を律して、神様に捧ぐ(尽くす)事ではないだろうか。】 最近は【求道】や【無】と言う事が何気なく頭に浮かぶ事が多い。とても嬉しい。人生の晩年に望んでいた事であるからである。毎日、毎日必死に生きていると、物的なものは何も欲しくない。ただ希求する心があれば嬉しい。良くわからないがお坊さんはひたすら、この心境に達する努力されているのではないかと・・・・。 この考えや生き方は、正に東洋的?かもしれないが、日本と言う特殊な環境で育ったものには、物事のはかなさや、神様に捧ぐ、尽くすという言葉はすんなりと心に入り、沁みてくる。 この無なるものに「尽くす」、感謝したいという気持ちは自分なりに好きである。人にではなく、見えない神様に尽くすという観念的であるが、今はそんな気持ちを大切にしたい。 特に「掃除」は凄く心的に素晴らしい。「無」の心境でひたすら尽くす。トイレ掃除やキチン掃除・・・・。なんでもいいのである。何かに尽くす!捧げるという事が大切であり、美しくする!何かを成し遂げる!ここに至れるかどうかと言う事であるようだ。 毎日、床やキチンやトイレの掃除をすると不思議であるが、心が清々とする。この時ほど、人生の醍醐味の様なものを感じ、満足感と、何か神様に感謝する気持ちになる。美を求めて、最善を尽くして、与えられた事に夢中になり、一つの事に尽くして感謝する・・・・。今はそこに【生きる】事の幸せを感じる。 一つの事に最善を尽くす!。これが生きるという事ではないかと・・・、最近ようやく体感する事が出来る心境になってきた。この先をもっと深めて、静かに瞑想して無なるSomethingを探求したい。 このような漠然としたものではあるが、見えない何かに尽くす!そしてやり遂げた満足感を得る。これこそが人生のある種の境地の様な気がする。この様な心境に至らせて下さった神様に感謝したい。