【人生は丁寧に・・・、人にはRespectを・・・】
最近、日本の【礼】という事の偉大さに気付く事があった。日本の武士道は礼に始まり、礼で終わると言われたような気がしたが、違っているかもしれないが、ここに日本の【礼】に対する尊厳さを感じる。
今日の題目に掲げた、「人生は丁寧に、人にはRespectを」(アメリカに長くいると日本語の尊敬と言う言葉より、英語のRespectが自然に出てくる。上下関係でなく、個に対してのFlatなものに対して、神様の尊厳を通して、個、一つ一つに対して尊敬したいという表われからであろうか。)
数日前に、一応人生でビジネスで成功したという部類に入る方と食事をして、歓談する機会があった。もう80歳前後におなりになるだろうか。60代の頃はビジネスで無我夢中で、かなり謙虚の方のようであったが、久しぶりにお会いしたが、成功したと言う思いからか、かなり傲慢さを感じるものがあった。
80歳にもなってご自分の自慢や、如何に成功したか・・・を聞くだけでもうざく感じる。80歳にもなれば、もう少し人生の本質的な事を話あいたいと思ってお会いしたのに・・・。
話を聞いていて、話の内容が雑なのである。もっと丁寧に考えたり、人に対する思いやりがあれば・・・・と思った。生きざまがもったいなあーとも感じた。恐らくもう二度と会う事はないだろう。
最近は色んな方達とメールのやり取りでも感じる事がある。2,3行の短い単文の中に、優しさや愛がある方とぶっきらぼうに相手にRespectなしで、送られてきたりすると、ああもったいないなあーと思う。
これは私が馬齢を重ねてきた由縁かもしれない。又私自身も若い時はそうであったかもしれない。壮年時代の勢いのあった特は、生きる事に急ぎすぎ、多分雑であったような気がする。
ビジネスの競争社会から一歩引いてみると、人生はArtを描く様に丁寧に、優しく、美しく生きるべきだと思うようになってきた。心に余裕が出来ると、自然と良い生き方が出来るのだろう。
人生と言う一日は神様から頂いたものであろう。もっと大切に丁寧に生きたい。人と会うと必ず学ぶものがある。全ては己の中にある。全てを受け入れ、宇宙の法則の中で、「正しさ」を求めれば、自ずとわかる。
残された日々、もっと大切に丁寧に生きて、今迄あまり気付かなかった、他人(ひと)に対するrespectをもっと深めたいという思いが強くなってきた。これは、己に対しての新たなる嬉しい発見かもしれない。