紅花チェーンのロッキー・青木さんが2008年7月にお亡くなりになった。享年69歳であった。
少し早いなあーという感じがする。日本の希望の星の方であった。戦後の日本に希望を与えてくれたのはSonyとロッキー・青木さんである。日本の復興は5番街57丁目の「Sony」であり、W56thで鉄板焼きをやり、其の面白さとユニークさでNY Timesが取り上げてくれた事により6ヶ月間殆ど入らず、閉めようかなと思っていた矢先に幸運の女神がやってきたロッキーさんである。
American Dreamを目指してきた、若き日本の青年に神はチャンスを与えてくれたのだ。お父さんが銀座で店を持っていたという事はあったにしろ、彼のChallenge精神がなくては紅の花も開かなかっただろう。
1960年代は日本は戦争に負け、完全に自信を失い、アメリカのNYでの成功は誰も考えもしなかった。世界の人種の坩堝といわれるアメリカでもNYでの成功は並大抵ではない。
気力、体力、知識、先見性、洞察、アイデア、幸運、実力・・・・勇気・・・。全てが揃わなくては成功しない。
先ずはなにより英語力だ。彼は英語で冗談も言えたし、人を笑わせるコツやツボも良く心得ていた。何よりも日本人のアメリカでの成功者の嚆矢として尊敬に価する。
道がない所に道を作っていくのであるからだ。彼の成功のお陰で日本食は1980年代には寿司が定着していき、日本が認められ、それからトヨタ、ホンダが売れはじめたのだ。
其れゆえに日本政府から勲一等を与えても良い人物である。今の日本があるのは勇気をだしてアメリカに日本ありと知らしめたSony & Rocky Aokiである。
多くの企業が後に続き、数限りない若者が日本からチャンスを求めてやってきて、この地に居座って成功したものもあれば、日本に帰って成功された方も多い。アメリカとの関連では藤田田さんも同様であろう。
ロッキーさんは気さくで、最後は5番街のOlympic Towerに住んでいて、朝7時頃に奥さんの恵子さんと一緒に散歩していた。時々会うと子犬が小便している間によもやま話をした日が懐かしい。最後にあったのは今年の4月半ばであった。気さくで笑みを絶やさなかったロッキーさんの事が今は懐かしく思う。
日本と日本の若者に勇気と希望を与えてくれたロッキーさんに感謝をしたい。ご冥福を祈る。