【野球(米国ーワールド・シリーズ)からの学び】
「学び」は何処にでもあるものだとつくづく思わされた。先日、ドジャースとブリュワースの野球を見ていて感じた事がある。物事には「自然の理」/法則があるという事である。これはスポーツや事業、人生の勝利者、成功者にも言える事であり、全ての分野に間違いなく当てはまると・・・・。
先ず言える事はドジャースのロバート監督はTopとしての「器」が無いという事であろう。第3戦が終了した時点で、私は公言した。皆は納得してないように思えたが。例えば、大谷は長く1番を打ってきた。チームの中でそれが当たり前であって、シンボルである。それを⓺番とか他の打順に置き換えていた。ここに監督の器が試させる。もし、彼が長ーく4番や6番であれば、そのまま使えばいいだけである。右往左往する必要はない。彼の1番で失敗したら、それまでであるのである。
ここ2年はほぼ大谷が抜きんでいたから勝てたのであって、彼が調子が悪い時のシュミレーションが為されていなく、又監督も彼に頼り切っていたのだろう。本来そこにあるべきものがないという違和感は不安や動揺を見い出す。これらは物事の法則である。又ロバート監督は「人間」分析が十分でなかった様にも思われる。
一方ブリューワースのマーフィー監督は、人間を見て、相手ベンチの雰囲気迄、分析していた。私は彼の風貌からして監督として荒波を潜り抜けてきた顔つきが好きである。Topとしての顔をして、本物を見抜く目、自分たちの選手から「信頼」されている雰囲気が感じられた。一方ロバーツ監督は、選手自身、半信半疑の様子であった。監督としての経験のなさか、シュミレーション不足か?素人の私でも「あれ!」と思わされた。
頭の中に、この時はこうすると言う「法則」が十分ではなかった感じがした.変える必要がないのに変えてみたり、投手が疲れてきたのに続投させたりしていた。つまり、【人間】分析が出来ていなかったと言える。マーフィー監督は自分のチームの一人、一人を把握していた。それだけでなく、相手チームのブルペンの中をじーっと眺めて、動向を探っていた。我々で言えば、「人間」を理解し、「社会」の変化を捕まえると同様であろうか。
彼は2024,2025年の優秀監督とされている。やはり人は見ていて、この選手はどんな役割に使えるか?客観視されているのである。私はこういう「客観視」やデーターを通しての理解は好きであるが、最後には「人間」を何処まで理解しているかと思っている。最後は「人間」と「社会」「環境」に如何に適応するかであろう。
そのためには日頃から研究し、自チームの一人、一人を理解し、相手側も分析して、試合に臨むという事であろうか。
また村上選手が米国で成功したのは日本で「三冠王」というものを獲得していたからであろう。最近の野球をみていると日本が米国をうわまっているように感じる。日本がアメリカのQualityを超えたのではないかと思う。
野球のみならず、日本製鉄の買収後の立て直し、日本の「長期」に渡るやりかたが今後も続くだろう。日本及び日本人はもっと自信を持って、世界に挑戦すべきと思う。今日は野球からであったが、今現在、日本の国力の立ち位置は世界のTop3ーTop2位内にあると思われる。客観的に自国を分析し、日本の長所をしっかりと生かして、一人一人の満足感と社会の安定、モラル、清潔さ、科学力、経済力、創造性、開発力、教育で世界有数の国になる事を願う。