【一日一日を「丁寧」に生きよ!】
両目の手術後にわけのわからない「病」に遭遇した。手術後、身体を動かしていなかったので、天候も良く久しぶりに散歩を40分位しただろうか。
翌日に立てず、歩けなくなった。かかりつけのお医者さんに行ったが、理由はわからないという。郊外の緊急の時にやっているCity MDにも行ってみたが、わからないと。
毎日が痛く、Advil Gelを数時間ごとにのみ続けると飲んでいる時は良いが、切れると又激しい痛みが襲ってくる。特に真夜中に切れる時はもう痛くてたまらない。猛毒が身体中に回っている感じであった。
もう何も「やる気」がしない。何もしたくない状態が続く。ちょっとしたことでもイラついたり、ストレスがたまる。考えてみたら常人ではないのだから。
眼の手術以降、もう3か月が過ぎる。自分の身体をどうする事も出来ない状態程はがゆく悔しい事は無い。身体中が「痛い」というのは可なり堪える。車を運転する、電車に乗るのも辛い。もう天国に行きたいと言う気持ちになる。
先日主治医の先生から、新しい薬があるから試して下さいと連絡が来る。郊外に住んでいるのでNYCに出て行くのは今の自分にとってはもう大変であるが、即支度して出かける。行きつけの薬局でお水を貰い飲んで即帰宅する。歩けないし、立っているのもきつい。家に帰り、そのまま即寝た。数時間したら、身体が動くではないか?もうびっくりと「嬉しさ」が同時にやって来る。
早く状況を先生に伝えたいがもう夜10時を回っている。翌朝直ぐに電話したいと思ったが、何をしたらいいかわからないので、今ブログを書いている。
身体の事でもうダメではないかと思ったのは成人になって久しぶりである。しかし最近の医学は凄いと思う。昔ならそのまま天国に行っていただろうが、今の所は命はあるように思われる。
人間は「常人」が当たり前と思っているが、その当たり前がそうではなくなった時、もう自分自身ではコントロールが出来ない。こんな時にこそ「穏やか」「平穏」という文字の大切さが染みる。
書きながら、限られた時間をもっと「大切」に、そして【丁寧】に与えられた今日一日を過ごさなくてはという思いが強くなった。これからの自分自身の「生き方」が問われる。「時間」は有限であり、生かされている以上もっと必要な事として、黄金を取り扱うように吟味して、確実、丁寧に過ごしたい。神様はそのように与えて下さったのだろうから、この痛みにこそ【感謝】して、「当たり前」である事にもっともっと注意して生きるべきだと・・・・。こんな時にこそ、本当に神様に感謝したい気持ちで一杯である。
人間は失敗や痛みから「学ぶ」。そしてそれを乗り越えて行く時こそ、生きる本当の「価値」がある様に思われた。神様から与えらえた時間や苦痛等、全てに感謝したい。神様、ありがとうございますと・・・。