【匠と和】ー日本文化
NYに長くいると世界中の民族の文化や生き方を見る事が出来る。最初は「日本の文化」に余り自信がなかったが、Toyota,Honda,Sony等をみていて、アメリカや世界の中で頭角を現すようになって、「日本」を見直し、日本文化に興味が向いて行く様になった。
そのうちに【人生は美であり、芸術である】という自己の哲学、モットーを深く理解し、確固としたものになってきた。世の中は「物造り」であり、進化とは「創造」する事であると。
すると「知性」と「感性」の鋭さとバランスが「美」を作るのではないかと。「強さ」と「優雅」さが「美」を創り上げて行く。私は特に「締まり」が好きである。「美」とはしなやかな「感性」と「知性」のトータルであろうか。
見た瞬間に「綺麗」、「ハンサム」と感じるのは「顔や姿態」が締まっていてしなやかであるからだ。これは男女を問わない。かっては人種を問わず、「凛」とした知性的で彫の深い人が強くて美しいと感じた。
持って生まれた美もあるが、晩年のしなやかで、締まった美はほれぼれとする。アメリカの「合理性」もある種の美であろうが、私は最近、「日本文化」の美意識が好きである。
特にToyotaのレクサスを20年近く乗ってみて、殆ど壊れず、頑丈で、機能的であった。外側の「美」に関してはやはり「イタリア」系の美はなんとなく華奢であり、余裕のある車体であり、特にかってのイタリア系のファッションは綺麗と感じた。(センスを感じた。)
日本の「物造り」は「美」の根源的迄追及して素晴らしいと思う。かっては「大きさ」が主流であったが、半導体をみてもわかるように、今は「微細」の中に「生活」や「技」の極知/極地を見る。これは「文化」であり、「日本」しか持てないし、作れないものであろう。
「美」とは「整然」としている。ある種の「締まり」である。ただの締まりだけでなく「余裕」と「Smile」のある美しさが好きである。
物事に行きずまったり、ストレスを感じた時に美しい絵や物に触れたり、美術館に行ってぼーーとしていると自然となごみ(和み)が出て来てはっとする。
知性と優美さには締まりがあり、頭脳と心が惹かれる。そう考えて行くと、日本の寿司や、ラーメンにも、極上の寿司や良く煮込まれたスープに味の強さと洗練された味、美的なトッピングに惹かれたりする。
そして「強さ」と「和」である。強いだけでなく、そこに「優美さ」があって、バランスの取れた「和」があると、生活や人間に「美しさ」を感じる。
物造りと言う「匠」の精神こそ、「日本」であり、「和」の生き方こそが、「日本文化」ではないかと感じる。西洋の価値観の合理性、創造性、知性の中に、「日本」という「匠」と「和」の精神こそが、今後、世界を引っ張って行くのではないかと思う。
西洋と東洋ではなく、「西洋」と「日本」をもっと深く研究してみたいと感じる。