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【人生ー丁寧・誠実・尊敬・感謝】③
Sun, June 01, 2025 4:18

【人生ー丁寧・誠実・尊敬・感謝】③

朝、Bedから起き上がる時に、体調が「普通」であれば、ほっとする。最近は「普通」である事が何より嬉しい。寝不足や前日に何か不安がよぎったままで就寝した時には、今日一日が大丈夫かな?と思うのと、普通に息をしてるな!今日もしっかりと生きれそうと思うだけで起き上がりが異なって来る。

最近は「穏やか」「落ち着き」「平安」・・・・という言葉に惹かれる。ゆるやかに歳を取って行くのはそよ風に身体がかーるくマッサージ?されている感じである。

激しいものではなく、【中立】が良い。最近は「豆腐」をよく食べる。この食品はそのままでも味噌汁に入れても、少し激辛で麻婆豆腐としても・・・なんでもその時の調子に合わせられるのが良い。

昔よく「京都風」?と言われて、薄味が良いと言われ、若い時はなんでかな?と思っていたのであるが、上品良く?なるとなんとなく「薄味」がよくなる?。

京都では広島の少し薄味の「ひがしまる」という醤油がかなりの人気と聞いた事がある。東京をはじめとする関東地域は、野田醤油、幾分濃い目の今のキッコーマンが普及していた。

若さや、競争を愉しんだり、物事を開発したり、エネルギーを要するものに取り組む時は塩分が必要となり、濃い目が良いのかなと思う時もある。日常の行動力が段々と少なくなるに従い、薄味になってきたのは、自然と思う様な気もする。先日、知人と中華街で、「ベトナムラーメン」を食べた。ベトナムはライスヌードルである。味も薄味でそれなりに美味しかった。「醤油味」ではないのである。さっぱりしている。

今日書きたかった「尊敬」から話題が「薄味」に変わってしまったが・・・。

ここ数回、丁寧・誠実と考えを書いてきた。これは基本に「尊敬」する、崇める、敬うという気持ちと連動しているのだろう。

日本では一木一草迄、神様の存在があると言われる。仏教的には、自然界の全てに「神様」が存在しているから丁寧・敬うと言う気持ちを持てと・・・・。人間に対して尊敬は使われるが、私は仏教的に、日常の全てに「尊敬」したいという気持ちが強い。

茶碗一つにしてもお箸一つにしても「ありがたい・・・」という気持ちで、食事すると美味しく感じる。日頃「当たり前」と思っている事に、感謝したいという控えめで、ある種の「尊敬」「畏敬」の念を持つと全てが上手く行く。

混んでいる電車で目の前の人が目的地に来て去って行き、偶然自分の目の前の席が空いたりすると、感謝と同時にある種の尊敬したくなる時がある。言葉としては言い方がおかしいが、なぜか知らないが、「尊敬と感謝」が似ている様な気がする。

尊敬は、素直さと謙虚さがあると自然と滲み出て来る。又傲慢であった若い時には、若さゆえの自信と無茶ぶりがあり、それが当たり前になっていた。尊敬に値すると言われてもなかなかその境地にならなかった自分自身、今となっては恥ずかしい。思い上がりも行き過ぎである。今そう思える自分が懐かしく、嬉しい。

弱者?を理解できるようになると、自分の成長を感じる。言葉多くより、「沈黙」の良さを理解してくるようになると、老いや、全てを「尊敬」出来る様になって来る。

歳をとっても毅然と「自主独立」されている方々に時々出会う。ああこうでなければという尊敬・畏敬の気持ちになる。人はそれぞれ良いものを持っている。出来るだけ、美点を見い出して、「尊敬」という学びを吸収したい。

尊敬は謙虚さと感謝を意識して過ごすと、自分自身が自然体として、万物全てを敬う気持ちが出て来る。今のその気持ちを尊びながら、与えられた今日一を神様に尊敬?と感謝しながら淡々と過ごしたいと思う。