【人生ー丁寧・誠実・尊敬・感謝】②
物事を「丁寧」にやるようにと脳に意識させると、不思議なもので、それなりにきちんとやれるようになる。ほんのわずかな事でも違いが出て来る。
今度は「物事」ではなく、「人」に対しては「誠実」でありたいと思うだけでも違ってくるだろうと思う。誠実と言う事は丁寧であり、又次の「尊敬」にも通じて来ると思われる。
日頃から物事に対して丁寧であるように心がけていると、自然に誠実になって来る。これらは何となく神様に対して丁寧に、崇めるという気持ちに繋がっているように思う。
日本人は宗教がないと言われるが、自然に対して、全てのものに敬う気持ちを持っている。人間は自我が強いが、もっと崇高なものに憧れを持って、謙虚に向き合う姿勢があれば、丁寧・誠実であろうとする。これは気持ちが良い物である。
万時に誠実であろうという人をみていると、こちらもそうありたいと思う。そういう意味では物事に対して丁寧でありながら、人間に対しても常に尊敬と誠実さを持っていたいと思う気持ちや、気付きが出てくると妙に安心感がある。
相手に対してよりも自分自身が嬉しくなる。丁寧、誠実さが言動に表れてくると自然に「上品さ」が少しづつ磨かれて来る様な気がする。そうして心に「余裕と落ち着き」が出て来るのが理解できる。
物を磨く、心を錬磨する事で、物は整然さとオーラ―が出て輝き始め、人間も誠実である言動で、磨かれて強く、優しく、美しくなって行く様な気がする。
[上品さ」は丁寧、誠実であろうと意識しているうちに自然に出来上がってくるのではないだろうか。多くの荒波に揉まれながら、上質なものだけが残って味わえのあるものになってくる。芸術家の器や壺や絵画を見ていてこれは味わいがあるなあーと感じるのは、その方の魂がその物体に表現されて現れるからであろう。
器や壺のように手で作られる物は全て心、魂の表現であろう。そうであれば、人間も美しく、上品であろうという意識、心、魂を持って、誠実であろうと心がけるだけで、そのようになっていくのではないだろうか。良く大志を持てと言われる。人間は大きなVisionを持てば、必ずその様になると。
全てに丁寧で、そうして誠実で向き合い、一日の終了には今日は丁寧、誠実で過ごせたと「感謝記」に述べられたら嬉しい。それは今日も落ち着きと平安を持って生きたから・・・という事になり充実感があるだろう。
毎日こうして意識しているうちに自然と「上品」になって行くのが理想であろうか。人間は弱いので、「意識する」と言う事から日々「学び」を持って、人間として、最高の器を創り出したいと思う。