【品性ー思いやり、謙虚、配慮、感謝】
晩年になり感じる事がある。「品性」とは・・・?という事である。多分これは【余裕】と言う事ではないかという感じがする。「品性」は心の持ち方次第と言われるが、日頃から心がけていてもここ一番という時に、「地」が出る。
育ちの良い人は幼少の時からの「躾」がしっかりしているせいか、日常の中で、それを感じる時がある。「品性=躾」と言えばそれまでで、やはり、生きている時には少しでも人間として「向上」したいという「意欲」次第で、品性も磨かれて行くような気がする。
相手に対する「思いやり」は病気や怪我や、何かで瀕死の状態であったり、底に落ち込んだりした時に、神様からや友人、知人、他人に助けられた時の想いを強烈に感じた時に、人間はそれを感じるのかもしれない。
人間は強い時ばかりではない。弱い時もあるのは当たり前であり、その時に差し伸べてもらった恩や、感謝は忘れがたい。他にたいする、配慮や心遣い、思いやりは、【人間性】の問題になって行く。
ビジネスで儲けていたり、スポーツ選手が強かったりしても当たり前である。しかしそれ以上に、他に対する「思いやり」、「配慮」ができる人間にははっとさせられる。これらは【余裕】のなせるわざであろうか。
思うに、「品性とは余裕」ではなかろうかという気がする。体力+、心力+、知力+金力+・・・・自分自身がある程度確立していてこそ、この人に対する配慮が出来ると思われるのではないだろうか。
アメリカに来た時に当時の日本になかった「お先にどうぞ・・・」、英語で言う「After you」はかっては本当に心もお金も【余裕】があってこそ出てきたものであろうと感じた。エレベーターの中で、最近は儀礼的にはなっているものの、「Please」と手を差し出されると気持ちが良い。長く米国に住んでいて、これが出来る自分自身がいる時は嬉しいし、心に自分が「余裕」が出来て自然にそれが出来た時ははささいな満足感がある。(小さな歓びであるが)
恐らく栄華栄誉を極めた英国から出てきたものであろうが、日本的な「思いやり」や「配慮」とは違うが、これも一種の「品性」の表れだろうと思う。
最近、アメリカの野球選手のドジャースの方々が「日本」を訪問して、Cleanで、人に優しく、親切・・・と語っているのをみて、日本の「おもてなし」も日本の「品性」ではないかと思った。
知的で、経済的に「余裕」が持てた時は、人間は自然にもてなしや、おもいやり、「After you・・・」が出て来るのではないだろうか。勿論これに気付き、日頃から考えて出来るだけ「実践」しようと心がけて初めて、出来るものであろうが、日々努力しなくても、自然にそういう行為が出来る様に「品性」を高めて行きたいものであると思う自分がいる。